衛星移動通信システム特集(2)
ワイドスターⅢ衛星基地局装置の開発
衛星移動通信システム 衛星基地局 データ高速化
田原 英斗(たはら ひでと) 中村 将大(なかむら まさひろ)
岡田 貴宏(おかだ たかひろ) 金清 敏幸(かねきよ としゆき)
ネットワーク部
あらまし
「ワイドスターⅢ」は,赤道上空に位置する静止通信衛星N-STAR e号機を利用し,日本全土および日本近海を主にカバーする衛星移動通信サービスである.このシステム設計には,従来のワイドスターサービスの継承に加え,データ通信の高速化,および災害時のトラフィック増大に対応する十分なシステム容量が求められた.このため,LTE方式をベースに,衛星通信特有の機能やサービス継承のための機能を導入した新たな衛星基地局装置を開発した.
01. まえがき
-
ドコモは,2010年4月に衛星移動通信サービスとして,3G方式*1をベース ...
開く
ドコモは,2010年4月に衛星移動通信サービスとして,3G方式*1をベースとした「ワイドスターⅡ」[1]を開始し,10年以上提供している.この間に,スマートフォンで利用されるコンテンツのリッチ化やアプリケーションの多種多様化によって,衛星移動通信サービスに要求される通信速度が上がると同時に,災害の甚大化・長期化によって,衛星移動通信サービスは大規模災害などへの通信手段としての重要性が増している.2023年10月より商用サービスを開始した「ワイドスターⅢ」システムでは,セルラシステムで利用しているLTE方式を,静止衛星を用いた衛星通信に拡張・カスタマイズすることで,ワイドスターⅡのサービスを継承・発展させるとともに,通信速度およびシステム容量を向上させ,平常時においても利用拡大やお客さまの利便性向上を実現している[2].
本システムでは,経済性と信頼性を考慮して,LTE方式をベースとした通信方式に対応した衛星基地局装置(SBSE:Satellite Base Station Equipment)を開発した.
本稿では,SBSEの構成と特長,ワイドスターⅢへのLTE方式[3]適用のための課題や要求条件に対する拡張機能,および安定した衛星移動通信システム運用のための特長的な機能を解説する.
- 3G方式:第3世代の移動通信方式として国際標準化された通信規格.
02. SBSEの構成と特長
-
SBSEは,衛星との送受信波増幅と周波数変換を行う無線送受信装置 ...
開く
SBSEは,衛星との送受信波増幅と周波数変換を行う無線送受信装置(RFE:Radio Frequency Transmitting and Receiving Equipment),変復調と無線制御を行う衛星アクセス制御装置(SAC:Satellite Access Controller)で構成される[4].RFEの外観を写真1,SACの外観を写真2に示す.また,SBSEの装置仕様を表1に示す.
2.1 RFEの構成
RFEはラックに搭載される汎用の無線装置から構成される装置である.RFEの構成図を図1に示す.
RFEは,主にSACとCバンド*2アンテナ間の通信信号を中継する装置であり,送受信共に右旋・左旋円偏波*3の経路から構成される.送信系は,SACから受信したLバンド*4の送信信号をCバンドの周波数へ変換するBUC(Block Up Converter),その出力信号を電力増幅してCバンドアンテナへ転送するSSPA(Solid State Power Amplifier)から構成され,受信系は,Cバンドアンテナ内の低雑音増幅器*5から受信したCバンド受信信号をLバンドの周波数へ変換するBDC(Block Down Converter)で構成される.また,静止衛星を介する衛星リンク区間における,周波数補正のためのAFC(Auto Frequency Compensation),利得*6補正のためのULPC(Up Link Power Control)*7やAGC(Automatic Gain Control)*8機能を具備する.また,RFEの監視制御を行うOAM(Operation And Maintenance)*9機能は,汎用サーバ上で動作する.
2.2 SACの構成
SACはシャーシ*10に搭載されるカード*11と汎用サーバから構成される装置である.SACの構成図を図2に,SAC構成品の機能概要を表2に示す.
SACは,主にLTE方式のレイヤ1*12であるPHY(PHYsical layer)*13の処理を行う「PCP(Physical Channel Processor)」,レイヤ2*14(MAC(Medium Access Control)*15,RLC(Radio Link Control)*16,PDCP(Packet Data Convergence Protocol)*17)制御,レイヤ3*18(RRC(Radio Resource Control)*19)制御および,S1-U*20インタフェース処理を行う「DP(Data plane Processor)」,音声,FAXのコーデック処理*21およびレイヤ2(PDCP)制御を行う「DSP(Digital Signal Processor)」,レイヤ2とレイヤ3制御管理およびS1-MME(Mobility Management Entity)*22インタフェース処理を行う「BB(BaseBand)」,SACの装置監視制御を行う「OAM」,シャーシの管理を行う「MCH(Micro-TCA Carrier Hub)」から構成される.
また,SACは,IPネットワークを介して衛星管制装置から,ワイドスターⅢで利用するN-STAR e号機の軌道情報を受信するインタフェースを有する.
2.3 SBSEの特長
ワイドスターⅢは,災害時などのライフラインや企業の事業継続計画としての重大な役割を果たすため高い信頼性が求められると同時に,平常時における利用拡大のため通信料金の低廉化が可能となるよう経済的な装置開発が求められる.
(1)信頼性
- RFEの送受信経路を構成するBUC,SSPA,BDCはN+1構成*23の冗長構成をとっており,右旋・左旋のどちらか一方の偏波面*24でコンポーネント障害が発生したときには,待機系に切り替わることで,通信キャリアの送受信が中断せず,サービスの継続が可能となっている.また,その他のコンポーネントはすべて,ACT(ACTive)/SBY(StandBY)構成*25の冗長構成となっている(図1).
- SACにおいて,シャーシに搭載されている無線通信制御の処理を行うカード群(PCP,DP,DSP)はACT/ACT構成*26の冗長構成をとっており,同一機能カード間で負荷分散処理を行うことができるため,カードの障害が発生した際には別シャーシ内のカードを含む残りのカード(群)にて負荷分散処理を図りながら処理を引き継ぐことが可能になっている(図2).
サーバ上の仮想マシンで動作するBBとOAMは,オープンソースの汎用的なHigh Availability*27技術を駆使したACT/SBY構成の冗長構成をとり,障害発生時にはすぐに待機系に切り替わりサービスの継続が可能となっている.
また,SBSEは2つの局舎に1基ずつ配置されており,万が一の局舎・設備被災や基地局設備の工事などにより片側の局舎のみで運用する場合においても,システムに要求される全トラフィックを収容・処理できるだけの能力を有する.
(2)経済性
- RFEでは,汎用のコンポーネントを組み合わせることによりコスト効率の良い装置開発を実現している.
- SACでは,国際標準化されたLTE方式に準拠した呼処理プロトコルアプリケーションを最大限活用し,カスタマイズしたソフトウェアを汎用ハードウェアおよび汎用サーバ上で動作させており,また,PCP-DP間,PCP-BB間の通信制御処理,およびPCP-OAM間の監視制御処理にはオープンインタフェースであるnFAPI(network Functional Application Platform Interface)*28を採用することで,開発コストの低減を実現している.さらに,サーバ上の同一仮想マシン(VM:Virtual Machine)*29でBBとOAMのソフトウェアを動作させることにより,ハードウェア費用の低減を実現している(図2).
- Cバンド:4~8GHz帯の周波数帯域の呼称.ワイドスターⅢでは,6/4GHz帯の周波数帯域を利用する.
- 右旋・左旋円偏波:電波伝搬の形態の1つであり,電波の伝搬方向に向かって電界(磁界)が円回転(右旋・左旋)する偏波.
- Lバンド:0.5~2GHz帯の周波数帯域の呼称.
- 低雑音増幅器:アンテナで受信された信号を初めに増幅する装置.増幅時に加えられる雑音レベルが低く,微弱な受信信号でも歪みが少ない状態で増幅される.
- 利得:信号をある電力(入力電力)で増幅器に入力した際に,増幅器の出力端子にて得られた電力(出力電力)と入力電力の比.
- ULPC:衛星軌道の日変動や降雨減衰などで変動する衛星端末の受信電力が一定に保てるよう,基地局の送信電力を調整する機能.
- AGC:衛星軌道の日変動や降雨減衰などで変動する基地局の受信電力を一定の電力に保つ機能.
- OAM:ネットワークにおける保守運用管理機能.
- シャーシ:コンポーネントパネルやボードを挿入する筐体を指し,ラックに搭載する.
- カード:電力増幅器,周波数変換器,変復調処理機能などのコンポーネントパネルやボードを指す.
- レイヤ1:OSI参照モデルの第1層.物理層を指す.
- PHY:物理層であり,無線信号伝送のため,無線周波数キャリアの変復調や符号化データ変調などの処理を行う.
- レイヤ2:OSI参照モデルの第2層.データリンク層を指す.
- MAC:レイヤ2におけるサブレイヤの1つで,無線リソース割当て,データマッピング,再送制御などを行う.
- RLC:レイヤ2におけるサブレイヤの1つで,再送制御,重複検出,順序整列などを行う.
- PDCP:レイヤ2におけるサブレイヤの1つで,秘匿,正当性確認,ヘッダ圧縮などを行う.
- レイヤ3:OSI参照モデルの第3層(ネットワーク層).本稿では,RRCプロトコルを指す.
- RRC:レイヤ3であり,無線通信における無線リソースの制御などを行う.
- S1-U:基地局とコアネットワークを接続するインタフェースのうち,U-Plane側のインタフェース.
- コーデック処理:映像や音声データに対し,符号化方式を使って圧縮や復号を行うこと.
- S1-MME:基地局とコアネットワークを接続するインタフェースのうち,C-Plane側のインタフェース.
- N+1構成:複数台の稼働系装置に対して1つの待機系装置を用意し,1つの稼働系装置で障害が発生した際に待機系装置に切り替わるシステム構成.
- 偏波面:電波の伝搬方向と電界の方向によって定まる面.
- ACT/SBY構成:同一機能を保有した装置を2台設置し,1台を稼働系として運用し,残りの1台を待機系として待機状態で運用する構成.稼働系の装置故障時に即座に待機系に処理を引継ぐことでサービス停止を防ぐ.
- ACT/ACT構成:同一機能を保有した装置を複数同時稼働させる構成.通常時は並行処理による処理速度の向上,故障時には故障装置を切り離して残った装置で処理を引継ぎ運用することで,サービス停止を防ぐ.
- High Availability:システム障害などによるサービス停止時間を最小限に抑え,安定的なサービス提供を可能とする技術.
- nFAPI:Small Open Forumで仕様化されているMAC-PHY間の通信プロトコル.
- 仮想マシン(VM):ソフトウェアによって仮想的に構築されたコンピュータ.
03. LTE方式拡張およびサービス要求条件への適応における課題と対応
-
ワイドスターⅢでは,効率的なシステムの構築と高度化のため,通信方式 ...
開く
ワイドスターⅢでは,効率的なシステムの構築と高度化のため,通信方式としてLTE方式を採用した.主な無線方式諸元を表3に示す.
LTE方式と,超大型展開アンテナを搭載したデジタルハイスループット通信衛星N-STAR e号機[5]の中継器性能とを有効利用することによって,表3に示すチャネル帯域幅の広帯域化,変復調方式の多値化が可能となり,ワイドスターⅡのデータ速度と比較して,下りは約4倍(384kbps→1.5Mbps),上りは約7倍(144kbps→1Mbps)と大幅な高速化を実現した.さらにキャリアアグリゲーション*30使用時の下り通信速度は,2倍の最大3Mbpsが提供可能となる.
また,マルチベアラ*31機能による音声/FAXサービスとデータ通信サービスの同時利用が可能となり,利便性が向上した.
一方で,LTE方式は地上系セルラシステムにおける国際標準方式であるため,ワイドスターⅢに適用するには次のような課題に応える必要があった.
- (a)衛星移動通信端末(以下,衛星端末)~静止衛星~基地局装置(SAC)間の往復伝搬遅延時間が約250msあり,LTE無線フレーム*32より長い.
- (b)衛星の照射ビーム(セル)半径が約400kmと大きいため,ビーム内の伝搬遅延時間差がLTEのRA(Random Access) Preamble*33送信に必要なサブフレーム*34より長い.
- (c)インクラインド静止衛星軌道*35により,伝搬遅延時間が一日の間で最大約15msも変動する.
- (d)災害時における通信容量拡大が求められているが,VoLTE(Voice over LTE)*36は,ワイドスターⅡで使用するG.729a*37(8kbps)よりも必要伝送レートが高い.
- (e)船舶ユーザのニーズが高いFAXサービスの継続が求められているが,LTE方式のQoS class identifier*38として定義されていない.
これらの課題を解決するため,通信方式のカスタマイズおよびSACの機能開発を行った.
3.1 LTE方式拡張における課題への対応
(1)TA(Time Alignment)の拡張
TAは,セル内の各衛星端末から送信される上り信号をSAC受信タイミングに合わせるため,各衛星端末の上り送信タイミングをSACまでの伝搬遅延に応じて調整する制御である.衛星端末~静止衛星~SAC間の往復遅延時間250msは,LTE方式の無線フレーム長10msより長いため,広いサービスエリア内で異なる場所からアクセスする衛星端末に対してTAを適切に行うためのカスタマイズが必要となる.ワイドスターⅢでは,次に示すように呼接続から呼切断まで上り信号のTA機能を開発することで,安定したサービス提供を実現した.
- ワイドスターⅢが利用するN-STAR e号機は,最大傾斜角7度のインクラインド静止軌道衛星である.SACは衛星ビームの位置と形状,および衛星の位置から計算された各ビームの伝搬遅延時間の代表値を保持する.また,衛星管制装置からSACに送信されるN-STAR e号機のエフェメリス情報*39より定期的に衛星の位置を取得し,時間変動する衛星の位置に応じた各ビームの伝搬遅延時間の代表値を都度再計算する.算出された代表値は,新たにパラメータ追加したMIB(Master Information Block)*40の情報要素の1つとして,SACから衛星端末へ報知され,衛星端末は,報知情報*41からSACが受信できるタイミングに合わせて,RACH(Random Access CHannel)*42の送信を行う.
- しかし,N-STAR e号機のビーム半径は150~400km程度と大きいため,衛星端末の位置によって衛星端末と衛星間の伝搬遅延時間はSACから報知される代表値と差分が生じる.SACは,RACHを受信したときに,代表値からの上りタイミングのずれを算出し,RACH応答*43において代表値に対する時間補正量を衛星端末へ通知することで,セル内の衛星端末位置に応じた伝搬遅延の調整を行うことができる.ただし,衛星ビーム半径はLTEのセル半径より大きく,また,地球表面の湾曲による伝搬遅延の影響を受けることから,LTE標準仕様の補正範囲ではカバーできない.そこで,サービスエリアやビームの位置と形状に基づいて補正仕様値を拡張することで,ワイドスターⅢへのLTE方式の適応を実現している.セル内の衛星端末位置に応じた遅延時間の補正のイメージを図3に示す.衛星端末は,RACH応答において受信した補正量を用いたタイミングで,信号を送信して,呼接続を継続する.
- 衛星端末が通信を継続している間,衛星は時間経過に合わせて軌道位置が変動し,また,衛星端末自体も移動する場合があるため,呼接続時に設定した補正値では通信が維持できなくなる場合がある.そこで,伝搬遅延補正値の修正のため,SACは通信中の上り受信タイミングを監視し,補正量の差分をTA command*44にて衛星端末へ通知する.衛星端末は受信した補正量の差分を積算し,終話まで適切な上りタイミングの補正値を用いて通信を行う.
(2)RACH Window拡張
衛星端末と基地局間の伝搬遅延は,同一セル内でも衛星端末の位置によって,伝搬遅延時間の代表値から最大で約10msほどの時間差が生じる.LTE方式で規定されたRACH送信は最大3サブフレーム(3ms)であり[6],十分な受信ウインドウ*45を設けなければ衛星端末からのRACHを受信できないため,ワイドスターⅢではRACHの受信ウインドウ(RACH Window)の時間拡張を行っている.一方で,RACH Windowをすべてのビームに対して一律に拡張すると,PUSCH(Physical Uplink Shared CHannel)*46のリソースが減少し,上りスループットが下がってしまう.そこで,ワイドスターⅢにおいては,ビームごとの位置や形状に応じてRACH Window設定を行えるようにし,また,RACHの送信周期を標準仕様値よりも長く設定することによって,リソース効率の課題を改善した.
(3)Hybrid ARQ(Automatic Repeat reQuest)*47機能の削除
衛星端末とSAC間の往復遅延時間は約250msであるため,LTE方式で標準仕様として採用されている誤り訂正であるHybrid ARQ機能のACK*48応答待ちタイマ(8ms)は常にタイムアウトしてしまい,機能させることができない.ワイドスターⅢは,見通し(Line of sight)*49を前提とした通信システムであり,無線性能評価と検証によりHybrid ARQ機能が無効であっても十分な回線品質が得られることを評価した上で,Hybrid ARQ機能を削除することで,無線インタフェースを簡素化した.
3.2 サービス要求条件への適応における課題への対応
(1)音声サービス要求への対応
昨今の災害の甚大化・長期化のため,災害時における音声通信容量,同時接続数の拡大が求められている.そこで,無線区間(衛星端末~SAC間)の音声コーデックとしてAMBE(Advanced Multi-Band Excitation)+2*50(4kbps)を採用し,1RB(Resource Block)*51のみのリソース割当てで音声通信を可能とした.これによりVoLTE標準のコーデック(ドコモの場合,VoLTEサービス開始時において,AMR-WB(Adaptive Multi-Rate Wide Band)*52(12.65kbps)を使用)と比べて少ない帯域で音声サービスを実現し,同時接続数を増大させることができる.標準コーデックを使用しないため,SACでAMBE+2のコーデック変換を行い,コアネットワーク*53とはG.711*54で相互に伝達することで,コアネットワークは後述するFAX通信と音声通信との違いを意識することなく処理可能となっている.
また,DTMF(Dual-Tone Multi-Frequency)*55トーンについて,無線区間ではAMBE+2コーデック内での伝送に対応している.AMBE+2コーデックによるDTMFと,VoLTEで用いられるRTP(Real-time Transport Protocol) Event*56によるDTMFとの変換をSACが行うことで,コアネットワーク・衛星端末はいずれもコーデックの違いを意識することなく処理が可能となっている.
(2)FAXプロトコル(T.38*57)の採用
ワイドスターⅡサービスでのお客さまの要望を踏まえ,ワイドスターⅢにおいては,透過的なFAX伝送が可能であるFoIP(Facsimile over IP)(T.38)を無線区間のFAXプロトコルとして採用した.SACは,FAX通信検知を契機とした音声からFAXへの切替え機能および,無線区間でのT.38によるFAX通信を,SACでG.711上のみなし音声*58に変換するプロトコル変換機能を具備している.そうすることで,コアネットワークではFAX通信であることを意識せずに音声通信としてFAX伝送が可能となり,LTE方式のQoS class identifierとして定義されていないFAX通信を実現している.
また,FAX送信時の伝送レート選択について,通常はFAX送受信機器間のみで行われるレート交渉にSACが介在する機能を具備し,無線品質状況に応じたFAXレート設定を行うことで,効率的なFAXの無線伝送を実現した.FAXのレート交渉の流れを図4に示す.
- キャリアアグリゲーション:複数のキャリアを用いて同時に送受信することにより,広帯域化を行い,高速伝送を実現する技術.
- マルチベアラ:コア装置,基地局,端末間で設定される論理的なパケット伝達経路であるベアラを複数同時に確立すること.
- 無線フレーム:無線区間でデータ伝送を行う単位.1個の無線フレームは,時間軸上で複数のスロット(またはサブフレーム)によって構成され,各スロットは時間軸上で複数のシンボルによって構成される.
- Preamble:UEが初期接続などのランダムアクセス制御を行う際に,最初に送信する信号.
- サブフレーム:時間領域の無線リソースの単位であり,複数のOFDMシンボルから構成される.
- インクラインド静止衛星軌道:静止衛星の対地位置制御の要件を緩和することで,衛星本体の燃料消費を抑えて耐用期間を延ばす運用方式による軌道.衛星は地表に対して8の字の軌道を描く.
- VoLTE:IPベースのネットワークであるLTEネットワーク上で,音声通話を実現する方式.
- G.729a:IP電話などで広く用いられている音声符号化方式.
- QoS class identifier:LTEネットワーク内で求められる通信の品質(優先度や帯域保証有無,許容データ損失率)を示す指標.
- エフェメリス情報:衛星の位置情報や時刻情報を含む衛星の詳細な軌道情報.
- MIB:基地局から端末へ一斉同報される報知情報であり,セルのシステム帯域幅などの物理層の情報が含まれている.
- 報知情報:移動端末がセルへの接続手順を実施するために必要となる規制情報,共通チャネル情報,ランダムアクセスチャネル情報などを含み,セルごとに一斉同報される.
- RACH:基地局と接続確立できていない端末が接続要求をするために使用される信号.
- RACH応答:端末から受信したRACHに対する基地局からの応答信号.
- TA command:基地局と端末間の送受信タイミングを一致させるためのタイミング調整情報.
- 受信ウインドウ:所望の信号を受信することが想定される時間軸上の区間.
- PUSCH:上りリンクでデータを送信するために用いる共有チャネル.
- Hybrid ARQ:誤り訂正符号と再送を併用して,受信した信号の誤りを補償する技術.
- ACK:データの受信ノードが正常に受信(復号)できたことを送信ノードに通知する受信確認信号.
- 見通し(Line of sight):送受信間に遮蔽物がなく,直接波を使用した通信が主となる状態.
- AMBE+2:米国DVSI社の開発した狭帯域向け音声コーデック.衛星電話やデジタルトランシーバーに採用されている.
- RB:連続した複数のサブキャリアを束ねた無線リソースの割り当ての最小単位.
- AMR-WB:国際電気通信連合 電気通信標準化部門ITU-T(International Telecommunication Union Telecommunication Standardization Sector)および3GPPで標準化された広帯域向け音声コーデック.
- コアネットワーク:パケット交換装置,加入者情報管理装置などで構成されるネットワーク.移動端末は無線アクセスネットワークを経由してコアネットワークとの通信を行う.
- G.711:ITU-Tにより制定された音声符号化の標準規格.固定電話網内の音声信号の伝送に用いられている.64kbit/sの固定ビットレート.
- DTMF:電話機のボタンそれぞれに割り当てられた音を送信する方法.別名トーン信号,プッシュ信号.
- RTP Event:DTMFなどの音声伝送路上のトーン信号を,デジタル情報として伝送する際に,RTPプロトコル上の専用信号フォーマットで伝送する方式.
- T.38:ITU-Tにより制定された,IPネットワーク上でFAXを送受信するための通信プロトコル.FoIPとも呼ばれる.
- みなし音声:音声伝送路上での信号情報(DTMFやFAXなど)をデジタル情報として伝送する際に,専用の信号フォーマットへ変換せずに,そのまま音声として伝送する方式.
04. 運用機能の特長
-
ワイドスターⅢは,災害時におけるサービスエリアのトラフィック需要に ...
開く
ワイドスターⅢは,災害時におけるサービスエリアのトラフィック需要に対して柔軟に対応することが求められる.
また,ワイドスターⅡと同一周波数帯を使用しているため,サービス影響を最小にしてワイドスターⅡからワイドスターⅢへのシステムマイグレーションを実現できるようにする必要がある.
これらの要求に対応するため,ワイドスターⅢでは,オンライン局データ更新機能とシステムメンテナンス機能を実装した.
4.1 オンライン局データ更新機能
ワイドスターⅢに利用するN-STAR e号機[2]は,デジタルビームフォーミング*59によって軌道上で中継帯域やビームを変更することができる.そのため,SACと衛星が連携してビームおよびセルの周波数リソース割当てを変更することによって,災害エリアのようなトラフィック需要の高いエリアに対して,オンラインで周波数リソースを適宜追加することが可能となる.SACは衛星管制装置とのインタフェースを通じて,衛星に設定した各ビームの割当周波数を受信し,その設定周波数の一部,またはすべてを局データ*60としてオンラインで柔軟に変更することができる.衛星に設定する割当周波数を変更する場合,あらかじめ各ビームの割当周波数に合わせた局データを用意し,SACに格納しておくことで,衛星とSACの周波数設定変更を同時に更新することが可能である.
また,保守者がトラフィック需要や衛星回線状況に合わせてセル追加やパラメータ設定できるように,局データ作成の補助ツールNPST(Network Planning Support Tool)を開発した.ワイドスターⅢでは,従来のワイドスターⅡに比べてビーム数が4から64へ大きく増加しており,かつビームは複数セルで構成することが可能であるため,パラメータ設定がより複雑となる.保守者はNPSTを使うことで各ビームのセルパラメータの設定を効率的かつ正確に作成することができる.
4.2 システムメンテナンス機能
基地局設備の工事,および万が一の被災により基地局(SAC)が利用困難な場合に備え,衛星システム特有の保守機能として,待受けおよび通信中の衛星端末を,ほかの基地局(SAC)に移すシステムメンテナンス制御機能を実装させた.ワイドスターⅢシステムでは,LTE方式のセル選択*61制御,ハンドオーバ*62制御を活用することで,システムメンテナンス用の局データにオンライン更新を行うことのみでシステムメンテナンス制御を実現している.
(1)待受け衛星端末のInter-SAC移行
保守者は,システムメンテナンス用の局データのオンライン更新を行うことで,移行元SACのSIB(System Information Block)5*63にて報知する隣接セル情報を移行先SACの割当セルのみとし,かつセル選択パラメータを変更する.移行元SACで待受けとなっている衛星端末は,移行元SACからの報知情報を読み込むことで,移行先SACのセルに自律的にセル再選択し,Inter-SAC移行を実施する.また,同時にInter-SAC移行した衛星端末が移行元SACへ戻らないよう,移行元SACでは規制情報を設定する.
(2)通信中衛星端末の移行
通信中の衛星端末は,LTE方式と同様に,SACから受信したしきい値(Event A2)を基に品質劣化の判定を行う[6].衛星端末は在圏セル品質劣化の報告をSACへ送信すると,SACは,ハンドオーバ先の候補となるセルの品質測定を衛星端末に指示する.ワイドスターⅢのシステムメンテナンス制御では,移行元SACのしきい値(Event A2)を疑似的に高くして衛星端末へ通知することで,衛星端末へ周辺セルの品質測定と移行先SACのセルへのハンドオーバ制御を促し,通信中呼の自律的なInter-SAC移行を実現させている.
- ビームフォーミング:複数のアンテナの振幅および位相を制御によってアンテナに指向性パターンを形成し,特定方向に対するアンテナ利得を増加/減少させる技術.本稿では,デジタル制御でビームフォーミングを実現する.
- 局データ:装置の動作条件,環境設定やセルパラメータなどを規定したデータ.
- セル選択:端末から観測可能な複数のセルのうち,通信に使用するセルを端末が選択すること.
- ハンドオーバ:通信中の端末が接続するセルを切り替えること.
- SIB5:SIBの1つであり,セル再選択に必要な周辺セル情報が,報知情報として基地局から端末に送信される.
05. あとがき
-
本稿では,ワイドスターⅢの新たな衛星基地局装置の開発について述べた. ...
開く
本稿では,ワイドスターⅢの新たな衛星基地局装置の開発について述べた.本装置の開発により,データ通信の高速化のニーズに応える無線通信速度の高速化に対応するとともに,従来のワイドスターⅡのサービスを継承したLTE over GEO Satelliteシステム*64を実現することができた.
ドコモは,今後も非常時,災害時などの通信手段としてお客さまに安心・安全な通信を提供するとともに,多種多様なお客さまニーズに応えられるよう,サービス品質の改善を図っていく.
- LTE over GEO Satelliteシステム:静止通信衛星を介して提供されるLTE方式の移動通信システム.
-
文献
開く
- [1] 山本,ほか:“ワイドスターⅡ衛星移動通信システム・サービスの概要,”本誌,Vol.18,No.2,pp.37-42,Jul. 2010.
- [2] 鴨川,ほか:“ワイドスターⅢシステム・サービスの概要,”本誌,Vol.32,No.2,Jul. 2024.
https://www.docomo.ne.jp/corporate/technology/rd/technical_journal/bn/vol32_2/006.html - [3] 大久保,ほか:“高速・大容量・低遅延を実現するLTEの無線方式概要,”本誌,Vol.19,No.1,pp.11-19,Apr. 2011.
- [4] 田原 英斗,中村 将大,金清 敏幸,鴨川 健司:“ワイドスターⅢ基地局装置の開発,”2024年電子情報通信学会総合大会,B-3-27,Mar. 2024.
- [5] 井上 雅広:“Beyond5G/6Gの実現に向けたNTNの展望,”2024年電子情報通信学会総合大会,BI-11-01,Mar. 2024.
- [6] 3GPP TS36.211 V18.0.1:“Evolved Universal Terrestrial Radio Access (E-UTRA); Physical channels and modulation,”Apr. 2024.