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スマートフォンログを用いた血圧上昇習慣推定AIの開発
ヘルスケア 行動変容 医療費抑制
池添 雄貴(いけぞえ ゆうき) 山本 直樹(やまもと なおき)
山内 隆史(やまうち たかふみ)
クロステック開発部
荒川 大輝(あらかわ ひろき)
NTTコミュニケーションズ株式会社 ビジネスソリューション本部 スマートワールドビジネス部
あらまし
高血圧は,健康寿命延伸や医療費抑制などの観点から早期発見・早期介入が重要であるが,血圧は測定タイミングによって測定値が変動し,加えて,上昇に伴う自覚症状がほとんど無いために,状況把握が困難であった.ドコモは,スマートフォンログを用いた血圧上昇習慣推定AIを開発した.本技術により,血圧測定を行うことなく簡易に血圧上昇リスクを把握でき,リスクを高めている生活習慣について改善アドバイスを個別提供することで,ユーザの行動変容に繋げることが可能となる.
01. まえがき
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ドコモは,ヘルスケア・メディカル領域を注力対象の1つとしており,これまでに ...
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ドコモは,ヘルスケア・メディカル領域を注力対象の1つとしており,これまでに「dヘルスケア」や「健康マイレージ」といったユーザの日々の健康維持・改善のきっかけとなるサービスを提供してきた.ドコモでは,日常生活を送りながら誰もが健康を維持・改善できる社会の実現に向けて,ストレス推定AIやフレイル推定AIといったスマートフォンのログから人々の健康状態を推定するAIを開発してきており,現在も,より多面的な健康状態の推定や,健康状態の維持・改善を促す行動変容に向けた技術開発を進めている[1][2].
高血圧は,塩分の過剰摂取,肥満,運動不足,睡眠不足,喫煙,過剰飲酒などのさまざまな生活習慣が関与する生活習慣病の1つであり,日本における高血圧患者は約4,300万人,さらに高血圧の重症化によって引き起こされる高血圧性心疾患*1および脳血管疾患*2による入院患者数は約14万人と推計されている[3][4].人々の健康寿命*3の延伸や増大し続けている医療費抑制のためには,高血圧を早期発見し,生活習慣の改善や医師の治療などによる重症化予防のための早期介入が重要となっている.
しかし,血圧は測定タイミングによって測定値が変動しやすく,また,上昇に伴う自覚症状がほとんど無いといった特徴があるため,自身の血圧状態を正確に把握することが難しく,重症化に至るまで放置してしまうケースが多い.そのため,高血圧患者の約3割が高血圧に対して未治療,もしくは自身の高血圧を認知できていないというのが現状である[5].高血圧を早期発見するためには,血圧計による日々の血圧測定が有効であるが,30~74歳の男女で血圧を毎日測定する習慣のある人は約1割と非常に少ない[6].
血圧は運動不足や睡眠不足などの不健康な生活習慣の影響により上昇するため,ドコモでは,人々の生活に欠かせないスマートフォンのログにユーザの生活習慣情報が多く反映されている点に着目し,スマートフォンを普段使いするだけで血圧の上昇リスクを推定できる血圧上昇習慣推定AIを開発した.本技術により,血圧状態の把握の大きなハードルとなっている日々の血圧測定を行うことなく簡易に血圧上昇リスクを把握でき,リスクを高めている生活習慣の改善アドバイスをユーザごとに提供することで,健康状態の維持・改善に繋がる行動変容を後押しすることができる.
本稿では,血圧上昇習慣推定AIの概要や,実証実験の結果,商用サービスへの機能実装について解説する.
- 高血圧性心疾患:高血圧が原因で心臓に発症する疾患の総称.
- 脳血管疾患:脳の血管の状態が悪化することが原因で脳に発症する疾患の総称.
- 健康寿命:心身に健康上の問題がなく,日常生活を過ごすことができる時間.
02. 血圧上昇習慣推定AIの概要
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2.1 推定モデル構築
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血圧上昇習慣推定AIの概要を図1に示す.本提案手法では,スマートフォンログを説明変数*4,血圧測定値による血圧の上昇の発生有無を目的変数*5とする推定モデルを構築する.血圧測定値については推定モデルを構築するときのみ利用するため,モデル構築後はスマートフォンログを収集するだけで,血圧を測定することなく血圧上昇リスクの推定が可能である.
推定モデル構築に利用するデータセットについては,データ収集試験を実施することにより収集した.データ収集試験では,40~60代の男女約200名から同意を取得し,参加者にデータ収集用アプリと血圧計を提供することで,属性データおよび約2カ月間分のスマートフォンログの提供と,日々の血圧測定および食事内容の記録について協力を依頼した(なお,今回のモデル構築には食事内容の記録を利用せず,今後の改善において利用予定である).
- スマートフォンログに関しては,インストールアプリの利用状況,運動情報,睡眠情報,位置情報,など,生活習慣に関連すると想定されるログを収集した.これらの分析を自社のデータ分析環境にて行い,血圧の上昇に関連すると考えられる平均歩数や平均睡眠時間などの説明変数を作成した.
- 血圧測定値に関しては,血圧の日々の変動影響を考慮して1週間ごとの平均値を算出し,基準とする週から2週間後の平均値が,基準とする週と比べて上昇しているか否かのラベル付けを行い,このラベルを目的変数とした.
- 続いて,基準日までの2週間分のスマートフォンログから作成した説明変数と,基準日から1週間後までの7日間の血圧平均値を基準日2週間前から1週間前までの7日間の平均値と比較してラベル付けした目的変数の関係性を,機械学習*6によって学習させることで推定モデルを構築した.推定モデルの推定性能の評価を行ったところ,感度*70.71,特異度*80.61となった.
2.2 行動変容を促進するフィードバック
血圧上昇リスクの改善には,健康的な生活習慣を継続する必要がある.推定モデルによって血圧上昇リスクを提示することで,一時的にユーザの健康意識や生活習慣改善意欲を高めることができると考えられるが,その情報だけでは改善すべき生活習慣が分からないことから,健康的な生活習慣の継続には繋がりにくいと考えられる.
そこで血圧上昇習慣推定AIでは,血圧上昇リスクを提示するだけでなく,ユーザごとの推定結果に基づいて改善すべき生活習慣を提示することで,ユーザの健康的な生活習慣に向けた継続的な行動変容を促す.
本技術では,スマートフォンログより作成した生活習慣に関する説明変数を用いており, XAI(Explainable AI)*9の技術を活用することで,血圧上昇リスクを高める方向に寄与している説明変数をユーザごとに抽出する.抽出した説明変数から,ユーザが内容を理解することができ実際に改善行動が可能な項目を選定し,その中で最もリスクを高めている説明変数を改善すべき生活習慣としてユーザに提示する.血圧上昇リスクと改善すべき生活習慣を1週間に1回提示することで,血圧上昇リスク低減に向けた継続的な行動変容をユーザに促す.
- 説明変数:推定対象項目(目的変数(*5参照))に影響を与えている項目.
- 目的変数:機械学習などの推定モデルにおいて,推定対象となる項目.
- 機械学習:事例を基にした統計処理により,計算機に入力と出力の関係を学習させる仕組み.
- 感度:本稿では,実際に血圧が上昇している人のうち,推定モデルによって血圧が上昇していると推定された人の割合を表す.
- 特異度:本稿では,実際に血圧が上昇していない人のうち,推定モデルによって血圧が上昇していないと推定された人の割合を表す.
- XAI:説明可能なAIのこと.AIの出力に対して,人間が解釈できる理由や根拠を示す技術.
03. 実証実験
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3.1 実証実験内容
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血圧上昇習慣推定AIを利用することによる生活習慣改善効果および血圧上昇リスクの改善効果を検証するため,広島県神石高原町にて実証実験を行った[7].実証実験には,参加同意を取得した神石高原町の住民である50代以上の男女50名が参加した.参加者には,実証実験専用アプリをインストールしたスマートフォンを貸与し,約3カ月間,可能な限り貸与スマートフォンを持ち歩いて日常生活を送ってもらった.実証実験期間中は,貸与スマートフォンからスマートフォンログを収集し,ログを用いて作成した生活習慣に関する説明変数が推定モデルに入力される.モデルから出力された血圧上昇リスクおよびリスクを最も高めている生活習慣についての改善アドバイス(以下,フィードバック)を,1週間に1回の頻度でアプリを通じて参加者へ提示した(図2).
3.2 実証実験結果
(1)生活習慣改善効果の検証
(a)フィードバック前後の歩数・睡眠の変化
血圧上昇習慣推定AIを利用することによる生活習慣改善効果を検証するため,実証実験期間中の参加者の歩数および睡眠の変化について分析を実施した.実証実験期間中の参加者の平均歩数および睡眠関連項目(睡眠時間・起床時刻・就寝時刻)のばらつきの変化を図3に示す.睡眠関連項目(のばらつき)については,毎日同じ時間に起床・就寝している場合は0分となり,生活が不規則であるほど,ばらつきが大きくなる.
血圧上昇習慣推定AIによるフィードバックが最初に提供された日を基準とし,基準日の1週間前と1週間後の平均歩数を比較すると,約1,100歩の有意な増加が確認された.また平均歩数では,最初のフィードバック後の期間においても,フィードバック開始前と比較して多い歩数を維持していることが確認された.
睡眠関連項目のばらつきについては,実証実験期間全体を通して減少する傾向が確認され,実証実験終了時にはフィードバック開始前と比較して,いずれも約30分の有意なばらつきの減少が確認された.睡眠関連項目のばらつきが少ないほど規則正しい生活を送っていると考えられるので,実証実験を通じて睡眠のリズムが改善されたといえる.
血圧上昇習慣推定AIを利用することにより,参加者の健康意識が高まり,各生活習慣の改善に向けた行動変容に繋がったと考えられる.
(b)フィードバックの有無による生活習慣改善効果の差
平均歩数および就寝時刻のばらつきそれぞれについて,血圧上昇習慣推定AIから改善すべき生活習慣としてフィードバックを受けた群と受けなかった群(改善すべき生活習慣として別のフィードバックを受けた群)に参加者を分類し,対象生活習慣のフィードバックの有無による生活習慣改善効果の差に関する分析を実施した.平均歩数および就寝時刻のばらつきについて,フィードバックを受けた群と受けなかった群のフィードバック前後の差を算出した結果を図4に示す.フィードバックを受けた群は受けなかった群と比較し,平均歩数の増加量は約500歩,就寝時刻のばらつきの減少量は約15分大きいことが確認され,いずれも有意に大きいといえる.血圧上昇習慣推定AIから改善すべき生活習慣を特定してユーザに提示することにより,ユーザの意識が特定の生活習慣に向きやすくなり,行動変容の改善効果が大きくなったと考えられる.
(2)血圧上昇リスク改善効果の検証
血圧上昇習慣推定AIを利用することによる血圧上昇リスクの低減効果について,分析を実施した.実証実験期間中の参加者の血圧上昇リスク推定値の変化を図5に示す.最初のフィードバックの前後での血圧上昇リスク推定値を比較すると,平均値において約2%の有意な低減が確認され,さらに実証実験終了時には約3%まで低減した.また,実証実験期間中に血圧上昇リスクが低減した参加者は約76%であり,フィードバック開始前に高リスクであった参加者のうち,約92%が低リスクとなった.血圧上昇習慣推定AIによるフィードバックにより実際に生活習慣が改善し,生活習慣が改善することで血圧上昇リスクについても低減したと考えられる.
04. 商用サービスへの機能提供
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高血圧の有病率は,地域や自治体によって格差が生じている[8].有病率の高い地域 ...
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高血圧の有病率は,地域や自治体によって格差が生じている[8].有病率の高い地域・自治体においては,増加し続けている医療費の抑制のため,住民の高血圧への対策を実施する必要がある.また,多くの企業の健康保険組合において,保険加入者の医療費増加などの影響により収支が赤字となっており,医療費抑制に向けた企業の健康経営の取組みが急務となっている[9].そこで,ドコモが展開している自治体および企業向けの健康増進サービスである「健康マイレージ」に,血圧上昇習慣推定AIの機能を実装し,2023年8月28日に商用提供を開始した.
ドコモでは,フレイル推定AIなどの健康状態や生活習慣を推定するAIを集約するHealthTech基盤を構築・運用しており,血圧上昇習慣推定AIもHealthTech基盤に実装されている(図6)[10].HealthTech基盤に搭載されている各機能は,API(Application Programming Interface)連携*10によるサービス提供が可能であるため,パートナーのニーズに応じて必要な機能(AIなど)を提供でき,パートナーが提供主体であるサービスにも組み込むことができる.今後は,ヘルスケア・メディカルの分野だけでなく多種多様な業界のパートナーと連携し,幅広いサービス展開をめざす.
- API連携:あらかじめ定義したインタフェースを介し,異なるプログラムやソフトウェアを連携すること.
05. あとがき
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本稿では,高血圧の現状および血圧状況の把握の困難さを述べ,ドコモが開発した ...
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本稿では,高血圧の現状および血圧状況の把握の困難さを述べ,ドコモが開発したスマートフォンログを基にユーザの血圧上昇に繋がる生活習慣を推定するモデルと,構築したモデルを用いた実証実験および商用サービスへの機能提供について解説した.今後は,血圧上昇習慣推定AIによる医療費抑制効果などを検証することで,血圧上昇習慣推定AIに関するエビデンスを構築し,社会課題の解決への貢献をめざす.
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文献
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- [1] 山本,ほか“スマートフォンログを用いたストレス・注意機能推定技術の開発,”本誌, Vol.28,No.4,pp.31-38,Jan. 2021.
- [2] 山内,ほか:“スマートフォンログによる要介護リスク低減を目指したフレイル推定AI,”本誌,Vol.30,No.4,pp.46-52,Jan. 2023.
- [3] 厚生労働省:“平成28年度国民健康・栄養調査,”2017.
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/eiyou/h28-houkoku.html - [4] 厚生労働省:“令和2年患者調査(確定数)の概況,”2022.
https://www.wic-net.com/material/static/00003418/00003418.pdfPDF
- [5] 日本高血圧学会高血圧治療ガイドライン作成委員会:“高血圧治療ガイドライン2019,”ライフサイエンス出版,2019.
- [6] オムロンヘルスケア株式会社:“高血圧に関する意識と行動に関する1万人実態調査,”2017.
https://www.healthcare.omron.co.jp/zeroevents/bloodpressure/investigation.html - [7] NTTドコモ報道発表資料:“広島県神石高原町におけるウェアラブル端末を活用した高齢者の生活習慣ケアのシステム構築に関する実証実験について,”Dec. 2022.
- [8] 岡 檀,山本 美緒,牟礼 佳苗,竹下 達也,有田 幹雄:“生活習慣,住環境と高血圧有病率(男性)の地域差の関連:都道府県別の特定健診データを用いた解析,”運動疫学研究,Vol.19,No.2,pp.110-117,Sep. 2017.
- [9] 健康保険組合連合会:“令和5年度健康保険組合予算編成状況-早期集計結果(概要)について-,”Apr. 2023.
https://www.kenporen.com/include/press/2023/2023042002.pdfPDF
- [10] NTTドコモ報道発表資料:“自治体向けに提供する住民の健康増進サービス「健康マイレージ」に健康支援機能や見守り機能を追加,”Sep. 2022.
https://www.docomo.ne.jp/info/news_release/2022/09/26_02.html