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5G Evolution & 6G特集(1) —6Gに向けた100GHz超帯無線システム伝送技術の研究—
6Gシステムレベルシミュレータの高度化

6G サブテラヘルツ帯 システムレベルシミュレータ

立石 貴一(たていし きいち)  北尾 光司郎(きたお こうしろう)
須山 聡(すやま さとし)  山田 貴之(やまだ たかゆき)

6Gネットワークイノベーション部

あらまし
6Gでは100Gbpsを超える超高速通信の提供を目標としているため,100~300GHz帯までのサブテラヘルツ帯の活用が検討されている.ドコモでは,サブテラヘルツ帯を活用した際の6Gのシステム性能を評価するため,6Gシステムレベルシミュレータを開発している.本稿ではさらなる高度化を目的に開発した2種類のシミュレータ,すなわち屋外の都市環境において分散MIMO技術を導入したシミュレータ(追加シナリオ),および屋内の高精度な実環境モデル化を実現する点群データを活用したシミュレータを解説する.

01. まえがき

  • 第6世代移動通信システム(6G)では,第5世代移動通信システム(5G)の高速・大容量, ...

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    第6世代移動通信システム(6G)では,第5世代移動通信システム(5G)の高速・大容量,高信頼・低遅延,多数端末同時接続に収まらない新しい組合せの要求条件や,5Gでも達成困難な究極の超高性能を必要とするユースケースが想定されている[1][2].具体的には,6Gのピークデータレートとして100Gbpsを超える超高速・大容量通信により,現実の五感による体感品質と同等,もしくはそれを超えるような新体感サービスが実現されると考えられる.

    加えて,6G時代では,6Gと人工知能(AI:Artificial Intelligence)技術を組み合わせることで,実世界をサイバー空間上に再現し,そこから未来予測や新たな知を獲得するサイバー・フィジカル融合(CPS:Cyber-Physical System)*1が実現・高度化し,これにより,さまざまな産業分野において新たなサービスやソリューションの創出に繋がると期待されている.そのため,6Gが実現するCPSの高度化に向けては上りリンク(UL:UpLink)における通信の高速化・大容量化も非常に重要である.

    6Gでは,100Gbpsを超える超高速通信を実現するため,5Gと比較して飛躍的に広い信号帯域幅を利用可能な,100~300GHz帯までのいわゆるサブテラヘルツ帯の活用が検討されている.しかしサブテラヘルツ帯には,5Gで活用されているミリ波*2よりも電波の直進性が高まり,伝搬損失*3が大きくなるという技術課題があり,ドコモではこれらを解決するためのソリューション技術の考案とその有効性の検証を進めている[3]~[6].

    一方,サブテラヘルツ帯などの高周波数帯をシステムで活用する場合には,個別技術の検証だけでなく,複数の基地局(BS:Base Station)や移動局(MS:Mobile Station)を配置した際のシステム性能の評価を早期に実施し,システムとしての性能向上効果を明らかにするとともに,課題の洗い出しを行う必要がある.しかしながら一般的に装置開発には相応の時間と費用を要すること,構成やパラメータなどの変更の自由度を確保する必要から,ドコモでは,サブテラヘルツ帯の活用による超高速通信の実現性をシステムとして明らかにすることを目的に,6Gシステムレベルシミュレータ(以下,6Gシミュレータ)を開発し,その性能検証を進めてきた[7].6Gシミュレータは,ショッピングモールと工場を模擬した2種類の屋内環境のシナリオにおいて,100GHz帯を利用したときのスループットを評価できる機能を有しており,両シナリオにおいて100Gbpsを超えるスループットを達成できることが確認されている.しかしながら,従来の6Gシミュレータは比較的広い範囲のエリア化が必要な屋外環境での性能評価や,任意の実環境をモデル化した環境において6Gを展開した際の性能評価には未対応であった.

    そこでドコモでは,6Gシミュレータのさらなる高度化を目的に,屋外の都市環境において分散MIMO(Multiple Input Multiple Output)*4技術を導入した追加シナリオ,および屋内の高精度な実環境モデル化を実現する点群データを活用したシミュレータの開発を行った.本稿では,この2種類の6Gシミュレータ(以下,本シミュレータ)の機能概要と性能評価例について解説する.

    1. サイバー・フィジカル融合(CPS):現実(フィジカル)空間の情報をさまざまなセンサなどから収集し,仮想(サイバー)空間と結びつけることで,より良い高度な社会を実現するためのサービスやシステムのこと.
    2. ミリ波:周波数帯域の区分の1つ.30~300GHzの周波数をもつ電波信号.
    3. 伝搬損失:送信局から放射された電波の電力が受信点に到達するまでに減衰する量.
    4. 分散MIMO:複数の基地局から異なるMIMOストリームを1つのユーザ端末に送信してMIMO伝送を行う技術.

02. 6Gシミュレータの高度化

  • (1)サブヘルツ帯の適用

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    従来の6Gシミュレータは,ドコモ6Gホワイトペーパー[1]で記載された6Gの要求条件や技術コンセプトを定量的に検証するとともに,サブテラヘルツ帯の活用の可能性をシステムとして検証するために開発された[7].本シミュレータにおいても,Sub6*5,ミリ波と同等のBSアンテナサイズと,5Gと同一の送信電力にするという拘束条件の下で,100Gbpsを超える超高速通信をより安定して実現するため,サブテラヘルツ帯をシステムに適用することを想定した.サブテラヘルツ帯を用いることでMassive MIMO*6アンテナにおけるアンテナ素子数(以下,素子数)を大幅に増加させることができ,これにより高いBF(BeamForming)*7利得が得られるため,サブテラヘルツ帯における大きな伝搬損失を補償できる.

    (2)RIS・移動するBSの採用

    6Gでは高周波数帯でのカバレッジ*8確保,接続性の向上,低消費電力化を考えて,できるだけ近い距離や見通し環境において通信を確立し,極力多数の通信経路を冗長に用意し,そこから適切な経路を選択する.すなわち,空間領域で分散した無線ネットワークのトポロジ*9を構築する分散ネットワーク高度化技術(NRNT:New Radio Network Topology)が,重要な技術領域の1つとなっている[1][2].NRNTでは,街灯,照明などの既存オブジェクトのアンテナへの利用,無線中継技術の高度化,反射強度や反射方向を動的に制御可能な反射板RIS(Reconfigurable Intelligent Surface)*10の利用,移動するBSの利用,MSとMS間の連携など,トポロジを構成するノード*11やそのノードに採用される技術として,さまざまなものが検討されている[1].本シミュレータでも,見通し外*12エリアにおいてサブテラヘルツ帯の受信電力を改善し,カバレッジを確保するためのNRNT技術として,RISや移動するBSを採用し,屋外都市環境のシステム性能を評価できるようにした.

    (3)屋外の都市環境モデルを用いたシミュレータ(追加シナリオ)

    従来の6Gシミュレータは,ショッピングモールと工場を模擬した2種類の屋内環境のシナリオのみに対応していた.一方,屋外において,サブテラヘルツ帯を活用してサービスエリアを展開することや,さらにSub6やミリ波と組み合わせてエリア展開し,MSが移動するときのシステム性能を評価することも重要である.そこでドコモでは,シミュレータのさらなる高度化を目的に,屋外の都市環境においてSub6,ミリ波,サブテラヘルツ帯の3つの周波数帯を活用した追加シナリオを開発した.加えて,屋外では屋内に比べると壁面での反射波が減るとともに電波の伝搬距離も比較的大きくなることから,高いスループットを達成しにくくなることが考えられる.本シミュレータではその対策技術としてNRNTと分散型アンテナ配置のMassive MIMOである分散MIMOを組み合わせ,スループットの改善を図った.

    (4)点群データによる実環境モデルを用いたシミュレータ

    屋内や工場などの特定の環境への5Gや6Gの通信システム導入を検討する際に,導入予定の環境におけるスループットなどのシステム性能を事前に把握できることは重要である.また,このシステム性能の可視化は通信システム導入方法を検討する上で非常に有益な情報となる.しかしながら,従来の6Gシミュレータでは,ショッピングモールと工場といったあらかじめ用意されたシナリオ・環境でしかスループットを評価することができなかった.

    スループットを高精度に推定するためには,通信システム導入環境における電波伝搬特性の高精度な推定が必要である.近年,伝搬特性を高精度に推定する手法として,評価環境において取得した点群*13データより生成した構造物のポリゴンモデルを用いたレイトレース*14計算が注目されている[8]~[11].そこでドコモでは,実環境におけるシステム性能の評価を目的として,点群データを用いた実環境モデルによるレイトレース計算より得られた伝搬特性を基に,5Gおよび6Gのスループットを評価および可視化できるように高度化された6Gシミュレータも開発した.

    以降では,(3)(4)の追加シナリオとシミュレータについて,その詳細を解説する.

    1. Sub6:周波数帯域の区分の1つ.3.6~6GHzの周波数をもつ電波信号.
    2. Massive MIMO:送信と受信にそれぞれ複数素子のアンテナを用いることで無線信号を空間的に多重して伝送するMIMO伝送方式において,より多くのアンテナ素子で構成される超多素子アンテナの採用により,高周波数帯使用時の電波伝搬損失補償を可能とする鋭い電波ビームの形成や,より多くのストリームの同時伝送を実現する技術.これらにより,所望のサービスエリアを確保しつつ,高速なデータ通信を実現する.
    3. BF:複数のアンテナの振幅および位相の制御によってアンテナに指向性パターンを形成し,特定方向に対するアンテナ利得を増加/減少させる技術.
    4. カバレッジ:基地局当りのMSとの通信を行うことができるエリア(セル半径).カバレッジが大きいほど設置する基地局数を低減できる.
    5. トポロジ:機器の位置関係やネットワーク構成.
    6. RIS:メタマテリアルと呼ばれる波長に対して微小な構造体を平面的に配置し,反射波の方向やビーム形状を任意に設計できる反射板.
    7. ノード:ネットワークにおいて,入力から受け取った値を伝搬する点のこと.
    8. 見通し外:送受信間に遮蔽物があり,反射波や回折波などでしか通信できない状態.
    9. 点群:建物などの任意の物体にレーザーを走査しながら照射して,散乱したレーザーの到来方向および伝搬時間を計測して得られる物体形状の座標を集めたデータ.
    10. レイトレース:電波を光とみなして追跡することにより伝搬特性をシミュレーションする方法.

03. 屋外の都市シナリオにおける分散MIMOを活用する6Gシミュレータ

  • 3.1 シミュレータの機能

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    追加シナリオでは,下りリンク(DL:DownLink)およびUL共にBSに分散MIMOを導入する.分散MIMOでは,BSアンテナに相当する複数のTRP(Transmission and Reception Point)*15と,それらを集約する集約局からBSが構成され,複数のTRPにおいて協調送受信(同一または異なるMIMOストリーム*16を同一MSと送受信)することでスループットを改善できる.分散MIMOを適用しない従来方式では,異なるTRPで協調送受信が行われず,すなわち,MSは1つのTRPとのみ送受信する.本シミュレータではあらかじめ設定した位置に固定されたTRPを複数設置し,それらとMSとの(協調)送受信時における各MSのDLおよびULのスループット特性を評価できる.さらに,遮蔽による伝搬損失を改善するため,特定の経路上をドローンTRPが移動しながらサービスを提供する.また,MSとして,人が所持するものに加えてロボットおよび自動運転車を配置する.

    サブテラヘルツ帯はミリ波帯と比較して,伝搬損失や遮蔽損失の影響がより一層大きくなる.そのため,本シミュレータでは増大する伝搬損失を補償するために,各TRPに複数のサブアレー*17で構成されるMassive MIMOアンテナが導入されている.また,サブテラヘルツ帯TRPとMSの位置関係,TRPとMSの間の遮蔽物の有無に応じて,伝搬損失および遮蔽損失を算出した上で各MSの受信電力を決定し,その受信電力に基づき各TRP(固定,ドローン)およびRISとMSとの組合せが決定される.なお,RISを利用する場合はTRPからRIS,およびRISからMSまでの経路長を用いて伝搬損失を算出する.評価の簡易化のため,RISによる反射方向の制御は理想的に動作すると仮定し,評価上ではRISを仮想的に固定TRPとみなしてBFを行っていることとした.以上から算出される受信電力に基づき,遅延なくMSと通信するTRPが理想的に切り替わるものとした.

    複数MSに対して通信を提供する上で,BSは①無線リソース*18(以下,リソース)を割り当てるスケジューリング,②送信プリコーディング*19,③変調多値数*20,④ランク制御*21の決定を行っている.

    1. スケジューリングは,時間領域*22ではスロット*23単位で,周波数領域*24では全帯域でRR(Round Robin)アルゴリズム*25に基づいてリソースを割り当てる.リソース割当ては,TRPのサブアレーごとに実施され,同一MSに対して割当て可能なサブアレー数の最大値は,MSが保持しているサブアレー数と同じとした.MSの選択およびスケジューリング処理は,全TRPのスケジューリングが完了するまで,あるいはスケジューリング対象のMSが無くなるまで繰り返される.
    2. 分散MIMO適用時は,集約局の配下の全TRPのサブアレー間で送信プリコーディングを実行するが,分散MIMO非適用時は,TRP内のサブアレー間でのみ送信プリコーディングを実行する.
      本シミュレータでは送信プリコーダとしてMRC(Maximum Ratio Combining)*26プリコーダおよびSVD(Singular Value Decomposition)*27プリコーダを用いる.MRCプリコーダでは,まず,伝搬チャネル行列*28のエルミート転置*29の列方向の要素を,リソースを割り当てたMSごとにMIMOレイヤ*30数の行数分だけ抜き出す.その後,各送信サブアレーから見た全受信サブアレーに対する要素で相加平均を取ることでプリコーディング行列*31を算出する.SVDプリコーダでは伝搬チャネル行列の共分散行列*32を固有値分解し,その行列において固有値が高い方から順にリソースを割り当てた全MSのMIMOレイヤ数の行数分だけ抜き出すことでプリコーディング行列を算出する.SVDプリコーダは固有値分解が必要なため,MRCプリコーダに対して計算量が多く,制御するTRP数が増えるとその影響が顕著となる.一方,SVDプリコーダはMIMO空間多重を行う際にはMRCプリコーダより優れた伝送特性を実現できる.
    3. 送信プリコーディング後,BSは伝搬チャネル行列とプリコーディング行列を用いて推定された平均SINR(Signal to Interference plus Noise power Ratio)*33に応じて変調多値数を決定する.
    4. 変調多値数の決定と同時にランク制御では,各MSに対して算出された送信可能なMIMO空間多重のレイヤ数に基づいて適応的にレイヤ数を制御する.

    各TRPおよびMSにおける受信処理では,伝搬チャネル行列を用いたMMSE(Minimum Mean Squared Error)*34規範に基づいたIRC(Interference Rejection Combining)*35受信機(MMSE-IRC)により信号検出が行われる.本シミュレータではこの検出された信号の受信SINRからブロック誤り率を求め,DLおよびULのスループットを算出する.

    3.2 評価シナリオとシミュレーション結果

    (1)概要

    本シミュレータでは屋外の都市環境を模擬しており,この環境に5Gおよび6Gを展開したシナリオにおいてシステムレベルのシミュレーション評価を実施できる.本シミュレータで実現した都市シナリオを図1に示す.この環境では,高層ビルに囲まれた開けた広場があり,広場には反射物は存在しないが,樹木が立ち並ぶ.人やロボット,自動運転車は,静止あるいは移動している.固定TRPとRISはビルの壁面あるいは街灯に設置されており,ドローンTRPは,広場においてビルから離れたMSに対してサービスを提供するため,道路脇の上空を定期的に往復させる.なお,ドローンTRPのバックホール*36は理想的に構築されているものとした.

    図1 都市シナリオにおける6Gシミュレータ

    シミュレーション諸元を表1に示す.Sub6,ミリ波およびサブテラヘルツの各周波数帯の中心周波数*37は,それぞれ4.7GHz,28GHzおよび100GHzとしており,帯域幅はそれぞれ100MHz,400MHzおよび8,000MHzとした.TRPのMassive MIMOアンテナは平面アレー*38を用いており,9サブアレーから構成され,各サブアレーでアナログ回路によって1ビームを形成するアナログBFとした.固定TRPおよびドローンTRPの総送信電力はサブアレーの素子数によらず一定とし,30dBmとした.複信方式*39は時分割複信方式(TDD:Time Division Duplex)*40であり,全スロットにおけるDLとULの時間比率は7:3とした.評価環境に22のMSを配置し,MSを所持している人は18人,MSを搭載しているロボットと自動運転車はそれぞれ2台ずつと仮定した.人およびロボットは時速3km,自動運転車は時速60kmで常に移動する.MIMOレイヤ数については,MS当り1,2,3,4,8の候補から伝搬環境に応じて通信可能な最大数が前述のとおり選択され,特にサブテラヘルツ帯においては4レイヤ以上でおおむね100Gbps以上のスループットが達成できる諸元とした.電波伝搬環境はマルチパス・レイリーフェージング*41のチャネルモデル*42とし,TRP・MSの位置とアンテナ構成に応じてアンテナ間相関*43を与えた.以降ではプリコーディング制御がSVDのときの結果のみを示す.

    表1 シミュレーション諸元

    (2)シミュレーション結果

    ジオメトリ*44の算出結果,および分散MIMO非適用時の各MSのスループットの割合を図2に示す.ジオメトリは10~50dBのレンジで画面内に色で表示されている.また,図中左のグラフではDLとULのスループットの割合が示されている.0~1Gbps,1~10Gbps,10~50Gbps,50~100Gbps,100Gbps以上の5種類の色で表現されており,横軸が時間(スロット番号),縦軸がスループットの割合である.図中のTRPとMS間を結ぶ直線の色は,スループットの色を示している.図中右のグラフでは,高層ビル前に位置する黒い輪で囲まれているユーザ端末(UE(User Equipment)#22)のスループットが示されており,横軸が時間(スロット番号),縦軸がスループットである.

    図2から,広場ではビルから離れると伝搬損失が大きくなることでジオメトリが低くなるものの,RISやドローンTRPによりジオメトリを改善できていることが分かる.なお,UE#22周辺のジオメトリが低いのは,ビル周辺にTRPが多く置局されているため,多くの干渉信号が到来するからである.図中左のグラフから,DLにおいて70%程度のMSが1Gbps以上のスループットを達成できており,加えて,9%程度のMSが100Gbps以上のスループットを達成できていることが確認できる.図中右のグラフからは,UE#22がDLにおいて100Gbps以上,ULにおいて40Gbps付近のスループットを安定的に得ていることが確認でき,環境が良いユーザではサブテラヘルツ帯の広帯域化の効果により100Gbpsを超えるスループットが達成可能である.

    次に,図2と同じ固定TRP設置位置のまま,分散MIMOを適用した場合の結果を図3に示す.図中左のグラフからは,DLにおいて,90%程度のMSが1Gbps以上のスループットを,18%程度のMSが100Gbps以上のスループットを得ていることが分かる.また,ULにおいても10%を超えるMSにおいて50~100Gbpsのスループットを得ており,分散MIMOの適用効果が確認できる.加えて,図中右のグラフからは,UE#22のスループットがDLにおいては100Gbps以上,さらにピーク時には190Gbps程度まで増加しており,ULにおいては80Gbps付近に到達しており,分散MIMO非適用時(図2)と比較して大幅に高いスループットが実現できていることが確認できる.

    図2 分散MIMO非適用時の評価結果 図3 分散MIMO適用時の評価結果

    以上から,都市シナリオのように反射波が比較的少なく見通しが多いためMIMOによる空間多重効果が期待できない環境においても,分散MIMOを適用することでDLとULの両方においてスループットを大幅に向上できることを明らかにした.

    1. TRP:基地局側の無線信号送受信点.
    2. MIMOストリーム:複数の送受信アンテナを用いるMIMO技術において空間多重される送信データ系列.
    3. サブアレー:回路規模の縮小などを目的に,N個のアンテナ素子をもつMassive MIMOにおいて,L本のビームを生成する場合に,N/L個のアンテナ素子で1つのビームを生成するアレー構成.
    4. 無線リソース:無線通信を行うために必要なリソース(無線送信電力,割当て周波数など)の総称.
    5. 送信プリコーディング:複数のアンテナなどに対応した信号の振幅および位相の制御をデジタル信号処理により行うことで,特定方向に対するアンテナ利得を増加/減少させるなどの送信重み付けを行う処理.
    6. 変調多値数:データ変調における信号位相点の数.例えば,QPSK(Quadrature Phase Shift Keying)の場合は4,16QAM(Quadrature Amplitude Modulation)の場合は16である.
    7. ランク制御:無線伝搬路の状況に応じて空間多重ストリーム数を適応的に変化させる方法.空間多重に必要な固有空間の数(ランク)が大きな伝搬環境の場合は,高いスループットを得られるように,空間多重ストリーム数を大きくする.
    8. 時間領域:信号などの解析において,その信号が各時間でどのくらいの成分をもっているかを示すのに用いられる.時間領域の信号をフーリエ変換することで周波数領域の信号に変換することができる.
    9. スロット:データのスケジューリング単位.複数のOFDMシンボルから構成される.
    10. 周波数領域:信号などの解析において,その信号が各周波数においてどのくらいの成分をもっているかを示すのに用いられる.周波数領域の信号を逆フーリエ変換することで時間領域の信号に変換することができる.
    11. RRアルゴリズム:複数のMSに無線リソースを順番に割り当てることで,MS間の公平性を担保した無線リソース割当てアルゴリズム.
    12. MRC:各アンテナにおける電波の振幅および位相を調整し,最大のSNRとなるように合成出力を得る手法.
    13. SVD:線形代数学における,複素数あるいは実数を成分とする行列に対する行列分解の一手法.
    14. 伝搬チャネル行列: 送信アンテナと受信アンテナ間の伝搬路(チャネル)の振幅および位相の変動量で構成される行列.
    15. エルミート転置:各行列成分が複素数である複素行列の行と列を転置後,各成分の共役をとること.
    16. MIMOレイヤ:MIMOにおいて,異なるアンテナを用いて同じ無線リソース上で異なる信号を空間多重する際の多重数.
    17. プリコーディング行列:送信信号の位相や振幅を制御するためのプリコーディングウェイトに基づく行列.
    18. 共分散行列:各変数の分散を対角成分とし,その他の要素はそれぞれ2つの変数の変動方向(正・負)の相関を表す行列.
    19. SINR:所望波信号の受信信号電力と,それ以外の干渉波信号と雑音電力の和の比.
    20. MMSE:平均2乗誤差を最小とするように信号を復調する方法.
    21. IRC:干渉信号の到来方向に対して,アンテナ利得の落込み点を作り干渉信号を抑圧する方法.
    22. バックホール:コアネットワークから無線基地局への接続回線.
    23. 中心周波数:あるバンドにおける通信帯域の中心となる周波数.
    24. 平面アレー:アンテナ素子を2次元の平面上に配置したアレー構造.
    25. 複信方式:相対する方向で送信が同時に行なわれる通信方式をいう.一般に,周波数分割複信(FDD:Frequency Division Duplex),時分割複信(TDD)(※40参照)がある.
    26. 時分割複信方式(TDD):ULとDLで,同じキャリア周波数,周波数帯域を用いて,時間スロットで分割して信号伝送を行う方式.
    27. マルチパス・レイリーフェージング:送信点から放射され複数の伝送路(マルチパス)を通った電波が受信点で合成されることにより,移動する受信点での受信レベルが激しく変動する現象をマルチパス・フェージングと呼ぶ.特に見通しがない伝搬環境では,統計的な変動分布をレイリー分布で近似できることが知られている.
    28. チャネルモデル:無線通信システムの性能評価を行うために用いられる電波の振舞いを模擬したモデル.
    29. 相関:異なる信号の類似性を示す指標.複素数で表され絶対値は0~1の値をとる.1に近いほど類似性が高く,受信側の信号の分離が困難となるため,MIMO通信においては通信速度が低下する.
    30. ジオメトリ:受信電力分布などを用いたエリアの品質を示す指標の1つ.絶対値が高いほど品質が良いことを示す.

04. 点群データを用いた実環境モデルによる6Gシミュレータ

  • 4.1 概要

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    ドコモでは,実環境におけるスループットの評価を目的として,点群データを用いたレイトレース計算により得られた伝搬特性を基に,5Gおよび6Gにおけるスループットの評価および可視化を行う「実環境モデルによる6Gシミュレータ」を開発した.本シミュレータは文献[7]で報告した6Gシミュレータをベースにしているが,システムレベルシミュレーションに利用するBSとMSの間のチャネルモデルとしてレイトレース計算で得られた伝搬特性の情報を利用する.具体的には,レイトレースにより計算される伝搬損失,到来波の到来角度および伝搬遅延の情報を利用する.

    本シミュレータにおける評価環境のイメージを図4に示す.本シミュレータは,任意の環境で取得した点群データを利用して評価環境のイメージを表示可能であり,同図は会議室で取得した点群データを用いて生成されたイメージである.なお,点群データと同時に取得した,カメラによる画像データを活用することで,実際の会議室を色付きで再現している.シミュレータ上ではBSおよびMSを任意の位置に配置でき,ここではBS数を2,MS数を6としたときの評価環境を示している.複数のBSを配置する場合には,BSごとに,評価エリア内に面的にMSを配置した場合のレイトレース計算結果をツールに入力することにより,任意の位置のMSのスループットを評価することができる.ただし,MSの移動には対応していない.

    また,本シミュレータは,伝搬特性とスループット特性の関係を視覚的に捉えられるように,伝搬パラメータのカラーマップを表示可能である.レイトレースの計算諸元を表2に示す.レイトレース計算では,図4に示す会議室で取得した点群データより生成されたポリゴンデータを市販のレイトレースツールであるWireless Insightに入力して行った.中心周波数は4.7GHz,28GHzおよび100GHzとし,5Gおよび6Gを想定した設定とした.BSおよびMSアンテナは,それぞれオムニアンテナ*45であり,BSアンテナ高は2.0m,MSアンテナ高は1.5mとし,レイの探索条件は,反射7回とした.壁面の材質は,すべてコンクリートとして計算を実施した.

    図4 点群データを用いた6Gシミュレータの評価環境イメージ 表2 レイトレース諸元

    4.2 シミュレーション結果

    レイトレースにより計算された伝搬特性の一例を図5に示す.本図は100GHzにおける受信レベルとMS側の水平面内の角度スプレッド*46のカラーマップである.BS付近の受信レベルが高く,また,反射の影響により,会議室の壁面付近において角度スプレッドが大きくなっていることが確認できる.

    図5 100GHzにおける受信レベルおよびMS側の水平面内の角度スプレッドのマップ

    次に,上記のレイトレースによって計算された伝搬パラメータを基に,本シミュレータで計算されたスループット特性を述べる.本シミュレータのシステムレベルシミュレーションの諸元は表1と同じである.ただし,分散MIMO技術は適用されていない.レイトレースで計算された各レイの伝搬損失,伝搬遅延および到来角度よりフェージングチャネル*47を生成し,Massive MIMOによるBFとMIMO空間多重を行った際のスループットを算出する.ここでは100GHzにおけるDLのユーザスループットを図6に示す.図では,赤い丸で示すMS#0~5のユーザスループットを表示しており,図5において受信レベルが高く,角度スプレッドが大きいエリアに存在するMS#3やMS#4が高いスループットを達成できていることが分かる.

    図6 100GHzにおけるDLのユーザスループット

    同様に,本シミュレータは4.7GHzと28GHzにおけるDLのユーザスループットを表示することもでき,4.7,28,100GHzにおける6台のMSのスループット平均値は,それぞれ0.62,1.9,37Gbps程度であった.高い周波数帯を利用することで,広帯域化の効果によりスループットが向上することを確認できた.

    今後は,実環境で実験装置を用いて測定したスループットと,本シミュレータによる計算結果の比較により,シミュレータの性能評価と高精度化を実施するとともに,将来,6GをCPSにより動的に制御・最適化できるツールの開発に向けて,実環境モデルを用いた伝搬シミュレーションや,リンクレベル・システムレベルの伝送シミュレーションの高精度化や高速化の技術検討を進める予定である.

    1. オムニアンテナ:無指向性アンテナとも呼ばれ,電波強度が全方位同等であるアンテナ.
    2. 角度スプレッド:電波伝搬において,建物などからの反射・回折により到来するすべての電波の到来角度の広がり.全到来波の到来角度について受信電力による重み付け統計処理を行い,求められる標準偏差で定義される.
    3. フェージングチャネル:送信局から送信された信号は建物に散乱,反射し受信局で受信されるため,移動機端末が移動すると,受信電力が時々刻々と変動する.このように受信電力が時変動することをフェージングチャネルと呼ぶ.

05. あとがき

  • 本稿では,6Gシミュレータの高度化として,屋外の都市シナリオにおいて ...

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    本稿では,6Gシミュレータの高度化として,屋外の都市シナリオにおいて分散MIMO技術を導入することで,100GHz帯を含む3つの周波数帯においてDLとULの両方のスループットを大幅に向上できる追加シナリオ,および点群データを用いた実環境モデルにより任意の環境においてシステム性能評価ができるシミュレータの開発について解説した.将来的には6Gのさまざまな技術をシステムとして性能評価・可視化できるように,さらにはその性能に応じて6G時代のユースケースを仮想的に体験できるように,継続して本シミュレータを拡張していきたい.

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