コラム:イノベーション創発への挑戦

日本病とAIの進化

日本病とAIの進化

20年後に来る超高齢化社会が来る前に、余力のある今、実質成長率1%を維持すべく、少子高齢化対策としてデジタル変革し、付加価値のある製品、モノからコトへの産業構造転換をしなければならない。その傾向と対策を我々は知っている。しかし、誰も動かない。体が衰弱し、病名は告げられ処方箋はあるのに,薬を飲まない、入院したときは子供に面倒を見てもらう予定という精神症候群を「日本病」と呼ぶことにする。

筆者は1985年に松下電器産業(現パナソニック)中央研究所で社会人生活を始めた。その頃、若手企業技術者にとって米AT&Tのベル研究所は畏敬の存在だった。経営学者ピーター・ドラッカーは「現代のエレクトロニクス産業の基盤は、ベル研究所の数々の発明と発見に起因している」と指摘している。

ノーベル賞を複数回受賞する一方で、トランジスタ、携帯電話の原型となる技術、GPSの実現に必要な通信衛星技術、そしてデジタル情報処理や伝達の基盤となるデジタル情報理論、UNIXというオペレーティングシステムなど、現代社会に不可欠な技術が次々と生み出されていった。

なぜ、その頃のベル研が輝いていて、今、そうではないのか。当時は必要な技術が明確でリスト化できた。電話という独占事業から得られる潤沢な資金を背景に、技術開発戦略は、優秀な人材を集め、あるべき未来を示し「自由にやれ」でよかったのだ。

当時、多くの日本の大企業が中央研究所を持ったがバブル崩壊で「中央研究所の時代の終焉」を迎える。英才放牧型技術経営ではなく、企業の事業活動に貢献する研究開発テーマを選別し、事業化を優先したテーマ管理をするようになった。それでも不十分だった。

日本の半導体産業の衰退は2000年代に顕著となった。その背後には大規模製造装置と製造方法に関する開発にのみ焦点を当て、「何を作るか」の視点が欠けていた。付加価値がハードウエアからソフトウエアにシフトし、インターネットの普及と共にこの傾向はさらに加速した。日本の産業界は、このソフトウエア中心のビジネスモデルに適応することができなかった。

我は、今、ここにいる。2020年代に入り、ChatGPTに代表されるAIの能力が指数関数的に向上している。少子高齢社会で今の生活を維持するために、我々はAIを社会システムの必須技術として医療・福祉を含むサービス産業に取り込まなければならない。ロボット導入に寛容な文化は日本の強みだ。。半導体産業の歴史に学びたい。

英才放牧型や管理型技術経営の余韻に浸っている時間はない。経営で重要なのが「事業に貢献する技術開発」ではなく、「事業と一体化した技術開発」の視点だ。

日本病への処方の一つは、経営が技術を裏方に置かないことだ。現在のシリコンバレー企業の優位性は技術と事業を一体として捉え、報酬設計と採用を柔軟にし、技術とマーケティングを同時に議論して、素早く経営判断を行うことにある。日本病に対して、やるべきことは、経営が変わることだ。

ドコモのイノベーション創発を牽引してきた栄藤氏による2023年10月4日の日経産業新聞「Smart Times」を翻案したものです。

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