コラム:イノベーション創発への挑戦

AI時代の大学教育

AI時代の大学教育

ChatGPTに代表される生成AIの登場で教育のあり方が変わろうとしている。コンピューターの自動生成物を利用してリポートを提出することは不正なのか、これが問われている。

グーグル検索などの出現で与えられた課題への回答に検索結果をそのままコピー&ペーストする学生が現れた。自らの言葉で表現することなく、他人の著作物を、そのまま引用することは不正である。

とはいえ、検索サービスは情報へのアクセスの容易さと多様性を提供する扉を開けた。今、検索サービスなしで研究することは考えられない。

そして、今、検索から自動生成という新たな技術が登場した。筆者の属する大阪大学では2023年4月、総長より、「大学教育の意義は単に生成AIを利用して成果物を作成するだけではなく、自らの考えを創りあげるプロセスや他者との対話を通じて独創的なアイデアを生み出すことである。学習のプロセスや人的交流も重視したい」とのメッセージが出された。この中で、後半の「プロセス」という言葉に注目したい。

立命館大学で英語教育を担当する木村修平教授は「これまでの英語の技能は『読む書く聞く話す』の4つで測定されてきたが、AIを活用する新たな尺度があり得るのでは」と言う。彼のプロジェクト発信型英語プログラムは口頭発表、エッセー、論文、動画作成などを英語でして、その出来栄えを評価する。

これまで、英語教育にAI自動翻訳サービスが導入されており、それに生成AIが加わった。問われるのは、学生が自らの責任で採用した表現であり、それをコンピューターが自動生成したかどうかは関係ない。高いレベルの表現力や運用力で情報が発信できたかどうかを問う。

新技術の信奉者は「技術は人間を『拡張』する。人間の『できることを強化』する」と考える。懐疑論者は「技術は人の雇用を奪い、人の能力を退化させる」と考える。例えば電卓だ。その出現により人間は足し算、掛け算が苦もなくできるように拡張された。一方で、そろばん教室はなくなり、暗算が苦手になった。歴史的に人間は拡張を続けてきた。

飛行機で空を飛び、インターネットで遠隔会議をする。新技術の恩恵を受ける富者はより富み、貧者は取り残される。

生成AIに限らず、新技術を積極的に使う、使わないで教育が二極化していくことが危惧される。教える側が技術に合わせて自己変革し、従来の「読み書き」を採点する語学教育にとどまらず、教員と学生のやりとりを密にした演習形式の語学教育に変えることはできないか。

そこでは生まれたアイデアの本質を議論する必要がある。人間本来のチームワークとコミュニケーションが重要となる。

ドコモのイノベーション創発を牽引してきた栄藤氏による2023年8月4日の日経産業新聞「Smart Times」を翻案したものです。

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