Special Articles

5G Evolution & 6G特集(2) —具体化に向けた取組みとユースケース—
HAPS実用化に向けた成層圏下層からの38GHz帯電波伝搬測定

NTN HAPS 超カバレッジ拡張

外園 悠貴(ほかぞの ゆうき) 小原 日向(こはら ひなた)
室城 勇人(むろき ゆうと) 深澤 賢至(ふかさわ けんじ)
永田  聡(ながた さとし)

6Gネットワークイノベーション部

あらまし
現在ドコモは,5G Evolution & 6Gの時代における実用化をめざし,NTN技術の研究開発を進めている.NTNは空・海・宇宙を含むあらゆる場所への「超カバレッジ拡張」を実現する手段であり,NTNの中でもHAPSは,衛星よりも高速大容量かつ低遅延な無線通信の提供が可能である.本稿ではHAPSの実運用に近い測定環境として世界で初めて実施した,高高度航空機を用いた成層圏下層からの38GHz帯電波伝搬測定について解説する.

01. まえがき

  • ドコモでは,第5世代移動通信システム(5G)の高度化(5G Evolution)および ...

    開く

    ドコモでは,第5世代移動通信システム(5G)の高度化(5G Evolution)および第6世代移動通信システム(6G)の時代において,これまでの移動通信ネットワークでは十分にカバーできなかった空・海・宇宙を含むあらゆる場所への「超カバレッジ拡張*1」を実現する手段として,非地上ネットワーク(NTN:Non-Terrestrial Network)*2の研究開発を進めている[1].NTNの中でも高高度プラットフォーム(HAPS:High-Altitude Platform Station)*3は,高度約20kmで一定の場所に常駐することができ,地上にセル半径約50km以上のカバレッジエリア*4を形成できることから,昨今注目を集めている[2].さらに,HAPSは衛星よりも高度が低い成層圏を飛行するため,衛星よりも高速大容量かつ低遅延な無線通信の提供が可能である.また,2019年世界無線通信会議(WRC(World Radiocommunication Conference)-19)*5において,ブロードバンド利用のHAPSに38.0~39.5GHzが分配された[3].広帯域なミリ波*6帯の電波を利用することで,5G網の基地局バックホール*7回線などを支える高速大容量な固定通信システムを実現できる.従って,災害対策はもちろんのこと,5G Evolutionおよび6Gで想定される多くの産業向けユースケースにも有効だと考えられる.

    HAPSを用いた通信に関する研究は世界中で行われているが,HAPSを想定した成層圏からの38GHz帯電波伝搬測定はこれまで実施されていない.バックホール通信にHAPSからのミリ波帯(28GHz帯)無線通信を使用することを想定し,その回線品質をエミュレーションにより検証している研究[4]があるが,実証実験は実施しておらず,気象条件による減衰を詳細に分析していない.また,ドローンなどの無人航空機(UAV:Unmanned Aerial Vehicle)による60GHz帯の測定を行った研究[5]があるが,HAPSとUAVでは飛行高度や飛行パターンが異なるため,HAPSと地上間の電波伝搬路を想定した評価には利用できない.ほかにも,HAPSを想定した有人機やHAPS実機を用いて上空電波伝搬測定を実施した研究[6][7]があるが,いずれも6GHz未満の周波数帯の測定に留まっている.

    また,ドコモが2021年2月に実施した上空約3kmからの38GHz帯電波伝搬測定[8]においては,航空機の旋回に伴う送受信アンテナ利得*8の変動や機体自身の遮蔽によって伝搬損失が大きく増加することを確認した.これにより航空機の旋回による伝搬損失*9の影響を抑えて一定の受信電力を保持する制御技術が重要であることが判明した.なお,この実験に用いた小型航空機の制約上,降雨環境での測定が不可能であったため,悪天候時の測定が別途必要である.

    ドコモは,ブロードバンド利用のHAPSを想定した上空からの通信エリア化の実現に向けて,成層圏下層の送信機から地上の受信機への38GHz帯電波伝搬の測定を2022年10月に世界で初めて実施した.本実験では,図1に示すように送信機を搭載した高高度航空機を成層圏下層で飛行させ,この送信機から38GHz帯の電波を送信し,地上に設置した受信機で複数の仰角における電波伝搬特性*10の測定を行った.また,38GHz帯の電波は降雨による電波減衰の影響を受けやすいことを踏まえ,晴れ・曇り・雨それぞれの気象条件下で測定した.前述の上空約3kmからの実験[8]において表面化した課題,すなわち航空機の旋回や機体自身の遮蔽による伝搬損失への対応策として,地上の受信アンテナに機械追尾機能を搭載し,また機上の送信アンテナを機体底面の外側に出した状態で設置した.

    本稿では,高高度航空機を用いた成層圏下層からの38GHz帯電波伝搬測定について解説する.具体的には,国際電気通信連合無線通信部門(ITU-R:International Telecommunication Union Radiocommunication Sector)*11がこれまで地上無線回線と衛星通信回線を対象として気象条件による減衰確率をまとめたITU-R勧告が,航空機の旋回による影響下における成層圏の電波伝搬環境にも適用可能であることを確認する.

    なお,本研究開発の一部は,総務省「電波資源拡大のための研究開発(JPJ000254)」によって実施しているものである.

    図1 38GHz帯電波伝搬測定の概要
    1. 超カバレッジ拡張:基地局が移動局端末との通信を行うことができるエリアを,現在の移動通信システムがカバーしていない空・海・宇宙などを含むあらゆる場所へ拡張すること.
    2. 非地上ネットワーク(NTN):衛星やHAPSなどの非陸上系媒体を利用して,通信エリアが地上に限定されず,空・海・宇宙などのあらゆる場所に通信エリアが拡張されたネットワーク.
    3. 高高度プラットフォーム(HAPS):ソーラープレーン型の航空機や飛行船などを利用して,成層圏環境での運用が想定される空中プラットフォーム.
    4. カバレッジエリア:基地局当りの移動局端末との通信を行うことができるエリア(セル半径).カバレッジが大きいほど設置する基地局数を低減できる.
    5. 2019年世界無線通信会議(WRC-19):各周波数帯の利用方法,衛星軌道の利用方法,無線局の運用に関する各種規定,技術基準などをはじめとする国際的な電波秩序を規律する無線通信規則の改正を行うための会議で,各国主管庁およびITUに登録している事業者などの関係団体が出席し,通常3~4年ごとに開催される.
    6. ミリ波:周波数帯域の区分の1つ.30GHzから300GHzの周波数であり,5Gで有望な周波数である28GHz帯を含めて慣習的にミリ波と呼ぶ.
    7. バックホール:移動通信ネットワークにおける,多数の無線基地局とコアネットワークとの間の高速大容量な情報伝送をサポートする固定回線を表す.
    8. アンテナ利得:アンテナの指向性の鋭さを示す尺度.一般に等方性のアンテナに対する放射電力の比で表される.
    9. 伝搬損失:送信局から放射された電波の電力が受信点に到達するまでに減衰する量.
    10. 電波伝搬特性:実証環境における伝搬損失などの特性を指す.
    11. 国際電気通信連合無線通信(ITU-R):電気通信分野における国際連合の専門機関である国際電気通信連合(ITU)の無線通信部門で,無線通信に関する国際的規則である無線通信規則の改正に必要な検討,無線通信の技術・運用などの問題の研究,勧告の作成および周波数の割当て・登録などを行う機関.

02. ITU-R勧告による電波伝搬損失の時間率計算

  • 38GHz帯の電波は降雨による電波減衰の影響を受けやすく,この降雨減衰確率を ...

    開く

    38GHz帯の電波は降雨による電波減衰の影響を受けやすく,この降雨減衰確率を精度よく推定することが,HAPSシステムの可用性評価に向けて必要である.これまで地上無線回線と衛星通信回線を対象とした降雨減衰確率の推定法が多く提案されており,これらは降雨減衰量推定モデルとしてITU-R勧告にまとめられている[9]~[12].

    HAPSシステムの伝搬環境において,衛星通信回線と同様にITU-R勧告の降雨減衰推定法が利用できるかを確認する意義は大きい.この確認に向けて本実験では,高高度航空機と地上局の取り得るさまざまな仰角において,複数の天候の下で38GHz帯電波伝搬測定を行い,ITU-Rの降雨減衰量推定モデルに準じて分析を行った.また,降雨減衰のほかにも雲,大気,シンチレーション*12による減衰についてもITU-R勧告にまとめられており[9][13][14],これらの勧告がHAPSシステムの伝搬環境においても同様に適用できるかについて,本実験を通じて確認した.評価に利用するITU-R勧告の一覧と概要を表1に示す[9]~[14].

    衛星通信回線におけるITU-R勧告[9]~[14]では,受信点の緯度・経度や送受信間の伝搬路長および仰角が分かれば,その伝搬路においてさまざまな周波数帯の降雨,雲,大気,シンチレーションによる減衰量と時間率の関係を求めることができる.これにより求められた減衰量と時間率の関係は,例えば,ある経路の大気減衰量が年間時間率1%でXdBと計算されたとき,年間1%の時間においてその減衰量がXdB以上となり,残り99%の時間においてはその減衰量がXdB未満となることを表す.雲,大気,シンチレーションにおける時間率は月単位あるいは年間単位で導出可能であり,降雨の時間率は年間単位でのみ導出可能である.また,電波伝搬測定中の積算降雨量が分かれば,伝搬路における降雨減衰量を精度良く求めることができる.

    表1 評価に利用するITU-R 勧告の一覧と概要
    1. シンチレーション:電波伝搬上において,電波が大気中を通過する際に振幅や位相および偏波面が短周期で変動する現象.

03. 測定環境と測定項目

  • 高高度航空機を用いた38GHz帯電波伝搬測定はオーストリア中央部のプラナーアルム ...

    開く

    高高度航空機を用いた38GHz帯電波伝搬測定はオーストリア中央部のプラナーアルム(Planneralm)の,自由空間伝搬損失が測定できるような見通し環境で,2022年10月12日に実施された.高度約14kmの成層圏下層を最高速度約400km/hで飛行する機体の底面に送信機を搭載し,その底面と垂直の方向に38GHzの無変調信号を送信する.その信号を地上アンテナで受信し,アッテネータ*13や低雑音増幅器(LNA:Low-Noise Amplifier)*14を介した後の受信電力をスペクトラムアナライザ*15で測定した.なお,地上受信点の標高は約2kmであり,航空機との垂直方向の距離は約12kmである.

    送受信機の諸元を表2に示し,それぞれのアンテナ利得を図2に示す.送信アンテナは機体自身による遮蔽の影響を可能な限り抑えるために,機体底面の外側にむき出しとなるよう設置した.なお,送信機の成層圏環境での動作を保障するため,振動試験,温度試験,および真空環境での圧力試験によって成層圏環境を模擬し,送信機の特性を測定している.一方,受信アンテナは航空機の旋回による影響を抑えて一定の受信電力を保持するために,追尾機能を有するアンテナを用いる.追尾の方式は,航空機のGPSデータを使用して方位角と仰角を制御する機械追尾方式であり,地上局に対する航空機の最大角速度*16に十分対応可能である.なお,送受信機のケーブル抵抗損やフィルタ損失を含むそのほかの損失は事前に測定しており,受信電力の評価に活用した.

    複数の仰角における電波伝搬を測定するための高高度航空機の旋回軌道を図3に示す.なお,天候の変化による電波伝搬への影響を調査するために,同じ旋回軌道上を,時間を置いて2回飛行した.図3の青い曲線は各旋回の間で送受信点の仰角が一定となる安定旋回軌道であり,受信アンテナ地点を中心とした同心円旋回軌道である.4通りの仰角は高仰角からそれぞれ約40°,31°,22°,17°である.次に,赤い曲線はある仰角から別の仰角となる軌道へ移動するまでの急旋回軌道である.そして,黒い点線上の軌道は送受信点間にトラックなどの障害物が存在した区間であり,評価の対象から除外する.なお,東経14.00~14.20°の間に描かれた黒い点線については2フライト目のみに障害物が存在した.

    また,晴れ・曇り・雨すべての気象条件が現れる一日を選定して測定を行い,自由空間伝搬損失に加えて降雨,雲,大気,シンチレーションによる減衰量を評価した.測定実施日の2022年10月12日における1時間ごとの雲量を表したオクタス*17のデータによると,1フライト目では少雨および雲量7オクタス前後の大部分が曇りの天候,2フライト目では雲量6オクタス前後の大部分が曇りの天候であった.なお,2フライト目には伝搬路上に雲が無い,晴れた時間帯も存在した.

    さらに,航空機の旋回に伴う機体動揺が電波伝搬に与える影響を確認するため,図3の安定旋回軌道と急旋回軌道それぞれにおける受信電力の机上計算値からの変動に着目した評価を実施した.

    表2 38GHz帯電波伝搬の測定諸元、図2 アンテナ利得、図3 高高度航空機の旋回軌道
    1. アッテネータ:入力信号を適切な信号レベルに落とすことのできる減衰器のこと.
    2. 低雑音増幅器(LNA):アンテナで受信された信号を初めに増幅する装置.増幅時に加えられる雑音レベルが低く,微弱な受信信号でも歪みが少ない状態で増幅される.
    3. スペクトラムアナライザ:信号に含まれる周波数成分の分布(スペクトラム)を表示・解析する測定器.
    4. 角速度:物がある中心点の周りを回転するときの速さを角度で表した速度のこと.
    5. オクタス:航空気象観測において,見上げた空の雲量を9分割する際の単位.0オクタスが雲の無い晴天を表し,8オクタスが全天を雲が覆っている状態を表す.

04. 成層圏下層から測定した38GHz帯電波伝搬の評価

  • ここでは,前述した諸元の下で,成層圏下層から送信した38GHz帯電波伝搬の評価について ...

    開く

    ここでは,前述した諸元の下で,成層圏下層から送信した38GHz帯電波伝搬の評価について解説する.なお,図4~6に示すとおり,時系列データの推移を読み取りやすくするため,いずれも約20秒間のデータによる移動平均を利用している.

    図4 2フライト目の晴れが観測された時間帯における受信電力の机上計算値と測定値の差分、図5 受信電力の机上計算値と測定値の差分および1 フライト目の降雨量、図6 2フライト目における受信電力の机上計算値と測定値の差分に関する時系列データ

    4.1 受信アンテナの追尾精度評価

    図3の旋回軌道において2回の飛行で測定した受信アンテナの追尾精度を図7に示す.方位角と仰角それぞれの誤差および一般的なGPS推定誤差として5mを考慮し,追尾角度の二乗和平方根(RSS:Root Square Sum)誤差*18を計算した.図7(a)の測定開始から10時46分1秒までの間にRSS誤差が比較的大きく表れたが,これは仰角方向の追尾誤差が生じたためである.この誤差に対し10時46分1秒にキャリブレーション*19の修正を瞬時に行ったことで,それ以降は安定した追尾が実現できていることが分かる.また,2フライト目におけるRSS誤差は最大0.35°に収まり(図7(b)),この誤差から送受信アンテナ利得の変動を計算すると,この変動は合わせて1dBi以内に収まった.さらに,安定旋回軌道と急旋回軌道それぞれにおけるRSS誤差の平均値と標準偏差*20(σ)に,差がほとんど表れなかったことからも,受信アンテナの追尾精度が十分高いことが確認できる.

    図7 受信アンテナの追尾精度評価

    4.2 さまざまな天候における評価

    (1)晴天時におけるアンテナ利得と自由空間伝搬損失との比較

    晴れの時間を観測できた2フライト目のデータを活用して,晴天時における送受信機のアンテナ利得と,伝搬距離を考慮した理想的な自由空間伝搬損失との差を評価する.図4に示すとおり,2フライト目の13時0分1秒にて送受信点間の伝搬路が晴れた状態となり,前後の時間と比べて受信電力が高いことが分かる.このとき,送受信点間の仰角は31°であり,理想的な自由空間伝搬損失からの差は約-2.0dBとなった.

    理想的な自由空間伝搬損失からの差として考えられる項目には,大気損失,シンチレーション損失,追尾誤差による利得損失,および事前測定から増加した場合の送受信機器損失が挙げられる.実験場所の10月における仰角31°の大気とシンチレーションの減衰量についてITU-R勧告P.618[9]とP.676[14]を用いて計算すると,時間率1%での減衰はそれぞれ約0.7dB,0.1dBと求められる.図4の赤線は,これら減衰の合計0.8dBを基準0dBから差し引いた線である.追尾誤差による利得損失については,図7(b)から13時0分1秒における追尾角度のRSS誤差が0.18°であることが分かり,ここから算出すると送信および受信アンテナ利得変動は合わせて高々0.5dBである.また,受信機のLNA利得が2フライト目のみ熱劣化*21したことで1.0dBの損失が生じたことを確認した.以上の損失を合計すると2.3dBとなり,晴天時に測定された自由空間伝搬損失からの差分2.0dBとの誤差が0.3dBと微小であることから,ITU-R勧告P.618[9]とP.676[14]による大気およびシンチレーションの損失計算が,HAPSシステムの伝搬環境においても衛星システムと同様に適用できることが示唆された.なお,図4の青線は,現地10月の時間率10%の雲による減衰をITU-R勧告P.840[13]から求め,それと大気・シンチレーションによる減衰を合わせたものを基準0dBから引いた線である.

    (2)雨天時と曇天時の受信電力の評価

    仰角17°で同じ旋回軌道を飛行した2回のフライトにおいて雨天時と曇天時の受信電力を比較する.各フライトにおける受信電力の机上計算値からの差分および1分ごとの瞬時降雨量について図5に示す.全く同じ地点を飛行した1フライト目の10時46分40秒と2フライト目の13時13分24秒を図5の基準時間0秒とした.測定時の天候は1フライト目では少雨および雲量7オクタス前後の大部分が曇りの天候,2フライト目では雲量6オクタス前後の大部分が曇りの天候であった.図5では同一の軌道上を安定飛行している時間帯のデータをプロットした.また,降雨量は受信点に設置した降雨計で1フライト目に観測されたものをプロットした.机上計算値は送受信機のアンテナ利得と伝搬距離を考慮した理想的な自由空間伝搬損失から導出した.なお,図5の破線部分に示す2フライト目の576秒から665秒は,伝搬路を遮るように障害物が存在し受信電力が低下した時間帯であるため,評価の対象から除外する.また,受信機のLNA利得が2フライト目のみ熱劣化したことで1.0dBの損失が生じており,雨天時と曇天時の受信電力を比較する際はこの損失を補正して評価する.

    (a)曇天時の評価

    曇天時の2フライト目における理想的な机上計算値と測定値の差分は,LNAの熱劣化を補正した結果,1.2dBから3.5dBまでの範囲で変化した.この差分の主成分には,晴天時の評価と同様の大気損失,シンチレーション損失,追尾誤差による利得損失に加えて,雲による損失が加わっているものと想定される.そこでそれぞれの損失についてITU-R勧告を活用して評価する.

    ITU-R勧告P.618[9]とP.676[14]から,時間率1%での大気とシンチレーションの減衰量はそれぞれ約1.2dB,0.1dBと計算される.次に,雲による減衰について,測定当日に観測された6~7オクタス程度の雲を,現地10月の時間率10~40%相当の発生と概算し,ITU-R勧告P.840[13]からその減衰を計算すると,約0.2~1.9dBと計算される.追尾誤差による利得損失については晴天時の評価と同様,高々0.5dB程度である.以上の損失を合計すると2.0~3.7dBとなり,測定で得られた損失からの誤差が最大0.8dBと微小であることから,ITU-R勧告P.840[13]による雲の減衰計算がHAPSシステムの伝搬環境においても衛星システムと同様に適用できることが示唆された.

    (b)雨天時の評価

    図5から2フライト目におけるLNAの熱劣化1.0dBを補正した後の分析により,雨天時と曇天時のフライトの受信電力差分は平均1.4dBとなった.一方,1フライト目に測定された1時間の積算雨量0.8mmの降雨に対して,降雨に関連するITU勧告[9]~[12]を用いて計算すると,測定経路における降雨減衰は約1.6dBと計算された.雨天時と曇天時のフライトの受信電力差分として測定された1.4dBとの誤差が0.2dBと微小であることから,降雨に関連するITU勧告[9]~[12]による降雨減衰計算が,HAPSシステムの伝搬環境においても衛星システムと同様に適用できることが示唆された.

    4.3 さまざまな仰角における評価

    さまざまな仰角において測定した受信電力の比較に向けて,6オクタス前後の曇天であった2フライト目における受信電力の机上計算値と測定値の差分に関する時系列データを図6に示す.机上計算値は送受信機のアンテナ利得と伝搬距離を考慮した理想的な自由空間伝搬損失から導出した.図4と同様に,現地10月の時間率1%の大気とシンチレーションによる減衰を基準0dBから差し引いたものが赤線であり,これらの減衰に現地10月の時間率10%の雲による減衰を加えて基準0dBから差し引いたものが青線である.なお,他の図と同様に図7においても,2フライト目におけるLNAの熱劣化1.0dBの補正を行っていない.また,図6の破線部分は伝搬路を遮るように障害物が存在し受信電力が低下した時間帯であり,データが欠損している時間帯も同様に障害物が存在した時間帯である.

    障害物が存在した時間帯と急旋回中の時間帯を除き,各仰角における受信電力の机上計算値と測定値の差分に関する平均と標準偏差を計算すると,仰角31°では平均値-2.8dB,標準偏差値0.058,仰角17°では平均値-3.5dB,標準偏差値0.081,仰角40°では平均値-1.8dB,標準偏差値0.14,仰角22°では平均値-2.1dB,標準偏差値0.10となった.特に最も低仰角である仰角17°では伝搬路が長くなることから雲,大気,およびシンチレーションによる損失が増加するため,受信電力の机上計算値と測定値の差分が大きくなる傾向がみられた.

    4.4 航空機の旋回影響評価

    航空機の旋回に伴う機体動揺が電波伝搬に与える影響を評価するため,図3の安定旋回軌道と急旋回軌道それぞれにおける受信電力の机上計算値からの変動に着目する.机上計算値は送受信機のアンテナ利得と伝搬距離を考慮した理想的な自由空間伝搬損失から導出する.一方,機体動揺を示すパラメータとして,機体の底面と送受信点を結ぶ直線間の角度θの変動を利用する.θの変動として,測定時間間隔の誤差を抑制するため,θの瞬時値から直近約10秒間のθ平均値を引いた差分値に着目する.

    曇天時の2フライト目において,このθ差分値ごとに受信電力の机上計算値からの変動量を計算したものを図8に示す.θの差分値は安定旋回軌道における平均値0.14°,標準偏差値0.11に対し,急旋回軌道では平均値0.79°,標準偏差値1.20と大きく変動した.受信電力の机上計算値からの変動量も,安定旋回軌道での平均値-2.64dB,標準偏差値0.13に対し,急旋回軌道では平均値-2.73dB,標準偏差値0.35と標準偏差値において大きく変動した.

    この実験結果により,将来のHAPS実用化に向けては,このような旋回による受信電力への影響を考慮に入れた回線設計の検討が重要であることを確認できた.今回の評価で,航空機の旋回によって受信電力が机上計算値からぶれた要因としては,第1に機体の構造による送信アンテナ利得の予期しない変動が考えられる.送信アンテナを機体の底面から外側へ出している状態ではあるものの,機体が大きく傾いた際には機体構造の影響を受けることが推察される.第2に,測定期間中は雲が6オクタス程度でその厚みが場所によってまばらであったことから,雲による減衰が数dB程度変動し得ることが考えられる.

    図8 機体動揺による受信電力の机上計算値からの変動
    1. 二乗和平方根(RSS)誤差:測定値と真値の誤差について,複数の値をそれぞれ2乗して合計し,平方根をとった値.本稿では,追尾角度の垂直方向と水平方向の誤差をまとめて評価するためにRSSを使用している.
    2. キャリブレーション:適切に電波を放射するために,複数のアンテナ素子を配置することなどによるアンテナごとの特性の偏りをあらかじめ補正すること.
    3. 標準偏差:基準値からのばらつきや変動のこと.
    4. 熱劣化:複数の部材から構成される電子部品やモジュールなどが,温度変化によって膨張と収縮を繰り返した際に,各部材の熱膨張率が異なるために機械的な劣化が発生すること.

05. あとがき

  • 本稿では,HAPSの実運用に近い測定環境として世界で初めて実施した, ...

    開く

    本稿では,HAPSの実運用に近い測定環境として世界で初めて実施した,高高度航空機を用いた成層圏下層からの38GHz帯電波伝搬測定について解説した.さまざまな気象条件や仰角における電波伝搬特性,および航空機の旋回に伴う機体動揺が電波伝搬に与える影響の評価により,衛星通信回線におけるさまざまな気象条件による減衰についてまとめたITU-R勧告[9]~[14]が成層圏の電波伝搬環境にも適用可能であることを示したとともに,将来のHAPS実用化に向けては,航空機の旋回による受信電力への影響を考慮に入れた回線設計の検討が重要であることを示した.

    一方で,今回の実験で使用した高高度航空機の飛行速度は時速最大約400km/hと速く,HAPS実機の運用よりも高速で急旋回な飛行条件であったと推察される.今後はHAPS実機の機体動揺と今回の測定における機体動揺を定量的に比較し,実用化システムの回線設計の検討に取り組んでいく予定である.また,38GHz帯における精度の高いHAPS回線用の降雨減衰推定モデルの構築を目標とし,HAPSと地上局の取り得るさまざまな位置関係での多様な降雨強度における電波伝搬測定に取り組んでいく予定である.

  • 文献

    開く

    • [2] HAPS Allianceホームページ.
      https://hapsalliance.org/別ウインドウが開きます
    • [3] ITU:“World Radiocommunication Conference 2019 (WRC–19) Final Acts,”ITU Publications, pp.41–43, 2020.
    • [4] A. Nauman and M. Maqsood:“System design and performance evaluation of high altitude platform: Link budget and power budget,” Proc. of the 2017 19th International Conference on Advanced Communication Technology, pp.138–142, Feb. 2017.
    • [5] S. G. Sanchez, S. Mohanti, D. Jaisinghani and K. R. Chowdhury:“Millimeter-Wave Base Stations in the Sky: An Experimental Study of UAV-to-Ground Communications,”IEEE Transactions on Mobile Computing, Vol.21, No.2, pp.644–662, Feb. 2022.
    • [6] H. Omote, S. Kimura, H. Y. Lin and A. Sato:“HAPS propagation loss model for urban and suburban environments,”Proc. of the 2020 International Symposium on Antennas and Propagation, pp.681–682, Jan. 2021.
    • [7] NTTドコモ報道発表資料:“ドコモとエアバス,18 日間の飛行でHAPSから電波伝搬実験に成功,”Nov. 2021.

      https://www.docomo.ne.jp/binary/pdf/corporate/technology/rd/topics/2021/topics_211115_00.pdf(PDF形式:406KB)PDF

    • [8] Y. Hokazono, Y. Kishiyama, T. Asai, T. Takamori, J. Suzuki and H. Kitanozono: “Experimental 39-GHz Band Propagation Measurements for Coverage Extension from the Sky,”Proc. of the 2022 16th European Conference on Antennas and Propagation, pp.1–5, Mar. 2022.
    • [9] ITU-R Recommendation P.618-13:“Propagation data and prediction methods required for the design of Earth-space telecommunication systems,”Dec. 2017.
    • [10] ITU-R Recommendation P.837-7:“Characteristics of precipitation for propagation modelling,”Jun. 2017.
    • [11] ITU-R Recommendation P.838-3:“Specific attenuation model for rain for use in prediction methods,”Mar. 2005.
    • [12] ITU-R Recommendation P.839-4:“Rain height model for prediction methods,”Sep. 2013.
    • [13] ITU-R Recommendation P.840-8:“Attenuation due to clouds and fog,” Aug. 2019.
    • [14] ITU-R Recommendation P.676-13:“Attenuation by atmospheric gases and related effects,”Aug. 2022.
このページのトップへ