特別寄稿

Wi-Fiの進化

小川 将克(おがわ まさかつ)さん
上智大学 理工学部 情報理工学科 教授

スマートフォンに搭載されたWi-Fiは,第5世代移動通信システム(5G)/LTE(Long Term Evolution)と同様に日常生活に欠かせない存在になった.近年Wi-Fiはインフラとして整備されていたものの,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対策のために,テレワークや学校におけるオンライン授業の受講などを契機としてICT(Information and Communication Technology)が身近なものとなり,Wi-Fiの存在感を高めた.なお,Wi-FiアライアンスによるIEEE802.11無線LANの相互接続認証試験に合格した製品のみが「Wi-Fi」を名乗れるが,本稿では無線LANとWi-Fiをほぼ同じ用語として扱う.これまでに,私がWi-Fiに携わった経験から,Wi-Fiの進化について述べる.

私が無線LANに出会ったのは,1990年代後半の学生時代である.当時の研究室(指導教員:服部 武先生)には,ルーセント・テクノロジーWaveLAN*1があったが,知識不足であったこともあり,複雑な接続設定であるということだけが記憶に残っている.本格的に,無線LANにかかわり始めたのは,2004年にNTTサービスシステム研究所に勤務してからである.このころ,Wi-Fiが搭載された主な機器は,ノートPCや現在のスマートフォンの先駆けであるPDA(Personal Digital Assistant),ニンテンドーDS,PlayStation Portableである.また,公衆エリアでのWi-Fi環境として,公衆無線LANサービスが開始されていたが,サービスエリアがスポットかつ限定的であった.そのため,外出前にサービス提供場所を調べるか,外出中は第3世代移動通信システム(3G)回線を用いたダイヤルアップ接続を用いる必要があった.スポットエリアから脱却するために,つくばエクスプレスや東海道新幹線における列車内インターネット接続サービス(つくばエクスプレス:2006年8月~2022年12月,東海道新幹線:2009年3月~),ボーイングによる航空機内インターネット接続サービス(2004年5月~2006年12月)が開始された.これらは,列車や航空機での移動時間の有効活用を狙ったエリア展開であった.一方,Wi-Fi接続設定は,SSIDと呼ばれるアクセスポイント識別子やセキュリティキーの入力が面倒であったため,株式会社バッファローやNECアクセステクニカ株式会社(現在,NECプラットフォームズ株式会社)の無線LANルータが備えるBuffalo AOSSやNEC らくらく無線スタートといった機能が提供され,これによりボタン1つで接続設定ができるようになった.これらの接続設定はメーカ依存であったため,2006年にWi-FiアライアンスでWPS(Wi-Fi Protected Setup)として規格化することで,あらゆるWi-Fi機器に導入された.現在,公衆無線LANエリアにおいて,スマートフォンにより無線LAN接続するときは,SIM(Subscriber Identity Module)情報を基に自動的に認証を行うため,セキュリティキーの入力が不要になり,利便性が大幅に向上した.

Wi-Fiの普及の起爆剤は,2007年に登場したiPhone*2とその後に登場したAndroid™*3 OS搭載のスマートフォンであるといえる.Steve Jobs氏によるiPhoneの発表会を覚えている方は多いと思う.1999年にも,Steve Jobs氏(当時,Apple暫定CEO)率いるApple社は99ドルで無線LANカード「AirPort」(現在の「AirMac」)を発売し,低価格化させたことで,無線LANの普及に貢献したといえる.2008年当時,国内では,一部の通信事業者のみが3Gに対応したiPhoneを提供していたため,Wi-Fiのみに対応したiPod touch®*4を利用するユーザ数が多かった.加えて,ニンテンドーDS®やPlayStation Portable®も同様に通信機能はWi-Fiのみであり,屋外においてもWi-Fi機器を使えるようにするために,NTT-BPがPWR(Personal Wireless Router)を開発した.PWRは公衆エリアでセルラネットワークや公衆無線LANに接続し,PWRを中継してWi-Fi機器をインターネット接続させるための機器で,現在のモバイルルータの先駆けになった.2009年には,ドコモより日本初のAndroid OS搭載のスマートフォンが発売され,ユーザ端末はガラケー(フィーチャー・フォン)からスマートフォンへと移り変わった.当時のセルラネットワークは3Gであり,スマートフォンからのトラフィックによりネットワークがひっ迫するため,スマートフォンに搭載されたWi-Fiはトラフィックを迂回させるオフロード手段とされ,公衆無線LANエリアが急速に拡大した.さらに,2020年の国際スポーツイベントの開催に向けて公衆無線LANエリアが整備され,多くの場所でWi-Fiが利用できるようになった.

私がWi-Fiの地位が確立したと実感した2つの出来事がある.1つは,2012年11月のNTTのニュースリリースで『公衆無線LANサービス:Wi-Fiは,固定でも携帯でもない,いわば「第三のアクセス」であり,インターネット接続だけではなく,エンドユーザに情報配信サービスも行うプラットフォーム』と位置付けられたことである.もう1つは,2020年9月のドコモのニュースリリースで『ネットワーク連携強化によるモバイル・固定・Wi-Fiの融合ネットワーク/融合サービスの実現』と掲げられたことであり,Wi-Fiは,まさにモバイルや固定と並ぶ通信手段になった.

現在,自宅の環境では,テレビ,スピーカ,プリンタ,エアコン,冷蔵庫など,身近な機器でWi-Fiが利用されている.IoT(Internet of Things)では,センサハブと各種センサ(気温,人感センサなど)との間は,BluetoothやZigBee*5が利用され,センサハブはWi-Fiによりネットワークに接続される.現時点では,IoTを利用したスマートホームは,AmazonやApple,Googleなどのメーカごとに専用アプリケーションが必要であるが,メーカを問わずIoT機器間の通信を可能にする規格であるMatter 1.0が2022年10月にリリースされたことで,今後Wi-Fi市場がさらに成長することが見込まれる.

これまでのWi-Fiの用途は情報を伝達する通信であるが,これからはWi-Fiをセンサとしても利用する時代が到来するだろう.すでに,IEEE802.11規格には,測距機能であるFTM(Fine Timing Measurement)*6があり,身近な機器ではGoogle製品間で距離の測定が可能である.その上,IEEE802.11標準化会合では,センシングのための規格としてIEEE802.11bfの策定を進めている.これまでの通信ネットワークにセンシング機能を組み込むことで,Wi-Fiの価値がさらに向上することが期待できる.第6世代移動通信システム(6G)においても,JCAS(Joint Communication And Sensing)*7という言葉が誕生しており,センシング機能は有望であるといえる.

最後に,私の研究室で取り組んでいるものとして,IEEE802.11bfにかかわるWi-Fiセンシングの研究について紹介する.Wi-Fiセンシングは,送受信アンテナ間のチャネル状態情報と呼ばれる電波伝搬状態を利用したセンシングである.センシングには,例えば物質に当てた際の電波伝搬状態をあらかじめ学習し,新たに得た電波伝搬状態をそれと比較することによって物質を推定するように電波伝搬状態を学習して推定する方法と,学習を必要せずに解析的に分析する方法がある.

電波伝搬状態を学習せずに解析的に分析する例として,電波伝搬の変動を利用した動き検出により,侵入者検出や幼児/高齢者の見守りへの利用がある.さらに,電波を利用することで,遠距離からプロペラ回転数を測定することができ,またバイタルセンシングとして呼吸数を測定することが可能である.

電波伝搬状態を学習して推定する例として,容器内の物質推定,容器内の液体の高さ推定,人の位置推定,歩行や走行などの人の行動の推定,人の移動方向推定,人の骨格推定などがある.これらの例から,人の移動方向推定について取り上げる[1].

オフィスでは天井にアクセスポイントが設置されることがある.その場合の十字路の12方向の移動方向(進入方向4通り×進出方向3通り)を推定する.図1に示す位置に送信機(Tx:Transmitter)を設置したとき,電波伝搬状態を取得する受信機(Rx:Receiver)の設置場所の候補はRxN,RxE,RxSの3カ所となる.高い精度で移動方向を推定するためには,1台の受信機をどの場所に設置すればよいか?という問題になる.結論としては,送信機Txから見通し外の受信機RxNまたはRxSを選択すればよい.なぜなら送信機Txから見通し内の受信機RxEでは,人の移動により送受信間を遮る時間が短いため,見通し内の受信機RxEを選択した場合は推定精度が低くなるからである.図の上部の画像は,縦軸は時間,横軸は周波数(具体的にはOFDM(Orthogonal Frequency Division Multiplexing)*8のサブキャリア*9)とした電波伝搬状態である.送信機Txから見通し内の受信機RxEにおいて,N→S方向の移動は,送受信アンテナ間を遮る時間が短く電波伝搬状態の変動時間が短いために,S→N方向の移動との区別がしづらくなるため,N→S方向とS→N方向の移動の推定を互いに誤ることがある.一方,送信機Txからの見通し外の受信機RxSでは,N→S方向の移動において送受信機間を遮る時間が長く電波伝搬状態の変動時間が長くなる.受信機RxEと異なり,電波伝搬状態の変動を長時間観測でき,移動方向による変動特性の違いを把握しやすくなるため,推定精度が高まる.例えば,S→N方向の移動とS→N方向の移動における電波伝搬状態は,時間的に対称であるために,これらの移動を区別して推定することができる.

このように,Wi-Fiは,通信機能に加えてセンシング機能を身につけることによって,新たなサービスやビジネスを生み出すチャンスがあり,今後のWi-Fiの進化から目を離すことができない.

図1 天井設置アクセスポイントを利用した十字路移動方向推定
  1. ルーセント・テクノロジーWaveLAN:1997年に発売されたIEEE 802.11規格に準拠した製品.最大伝送レートは2Mbps.
  2. iPhone:Apple, Inc.の商標.ただし,日本国内ではアイホン株式会社のライセンスに基づき使用されている.
  3. AndroidTM:米国Google, Inc.の商標または登録商標.
  4. iPod touch:Apple, Inc.の登録商標.
  5. ZigBee:短距離無線通信規格の1つ.2.4GHz帯を使用.ZigBee®は,ZIGBEE ALLIANCEの登録商標.
  6. FTM:アクセスポイントとスマートフォンなど2つのWi-Fiデバイス間において,往復の電波伝搬時間に基づく距離計測.
  7. JCAS:通信システムにセンシング機能を組み込むこと.従来,通信システムとセンシングシステムは別々に開発され最適化された.センシング機能を組み込み,通信システムとセンシングシステムで同一の周波数を利用することで,周波数の有効利用が図れることや,センシングを活用した通信の最適化などが期待されている.
  8. OFDM:情報信号を直交サブキャリアで変調するマルチキャリア変調方式.
  9. サブキャリア:OFDMなどのマルチキャリア伝送において信号を伝送する個々の搬送波.
  • 参考文献

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    • [1] 小川 将克:“Wi-Fiセンシングの基本原理とユースケース,” 電子情報通信学会2022年, ソサイエティ大会, BS-1-1, Aug. 2022.

Profile
1998年上智大学理工学部卒業.2000年同大大学院理工学研究科博士前期課程修了.2003年同博士後期課程修了.博士(工学).2004年日本電信電話株式会社入社.NTTアクセスサービスシステム研究所にて,IEEE802.11無線LANの標準化および研究開発に従事.2011年上智大学理工学部情報理工学科・准教授.2018年同教授.現在,無線通信システム,ワイヤレスセンシング,スマートIoTシステムに関する研究開発に従事.

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