コラム:イノベーション創発への挑戦

多様性社会を実現するデジタル

多様性社会を実現するデジタル

80代後半になった母が「最近のテレビは面白くない。」と最近、言い出した。帰省した際、ネット動画閲覧サイト「YouTube」をスマートフォンからテレビに転送して見せた。母の好きな映像コンテンツを自由に選んで見ることができる。新聞のテレビ欄を見なくてもすむ時代になった。なんと便利なことか。ただし、私が言う「最後の2ステップ問題」が残っている。一つ目はサービスの起動だ。テレビの入力を切り替え、YouTubeを立ち上げなければならない。二つ目はサービスの操作だ。YouTubeで検索窓にキーワードを入れて見たい映像コンテンツを探さなければならない。以上の二つが老母にはできないため、デジタルの恩恵を享受できないでいる。

近年、大衆が等しくデジタルの恩恵を受けるべきというデジタルイクォリティ(デジタル平等)という言葉が注目されている。そのニュアンスは、デジタルはもうそこにある。もう少しで多くの人がその恩恵を受けられる。その恩恵を等しくみんなが受けるようにしていこうという前向きな意味を持つ。

デジタルは老若男女健障誰もが個人の思う楽しい生活を暮らせるための手段になるべきだ。例を示そう。友人に富士通株式会社で「髪の毛で音を感じる」Ontenna(オンテナ)というデバイス開発をし、全国の聾学校100校余りの8割にそのデバイスを普及させている本多達也さんがいる。聴覚障害者にとって、音をどうやって感じることができるかを突き詰めた製品だ。Ontennaをヘアクリップとして髪に挟む。それは音を振動と光の強さに変換するユーザーインタフェースだ。音が聞こえなくても、音楽演奏の楽音、演劇の声を肌で感じることができる。 

本多さんとその仲間は、2021年末 JR巣鴨駅で「エキマトペ」と言う、駅のアナウンスや電車の音といった環境音を文字やイラストにして駅プラットフォーム上のディスプレイに表示する実証実験が始めた。オノマトペは、風が「ヒューヒュー」と吹き、枯葉が「ガサゴソ」と舞うというように環境音を人の言語で表現することだ。エキマトペは駅の雑踏を環境音認識というデジタル技術でオノマトペ化するサービスで、例えば電車のドアが「プシューン」と閉まって、「ビュウウン」と発信する様を文章で表示する。併せて駅員のアナウンスも文章表示する。音が聞こえなくても、駅の音が見える。

障がい者は非健常者なのか? 老人はデジタル格差の敗者なのか? Ontennaやエキマトペに見たように、これからのデジタルは多様性のある人々に等しく機会を与えることになる。老親がYouTubeを自在に楽しむ人に寄り添うデジタル技術を実現したい。デジタルが人々の多様性を当たり前にする。その世界観では、何が正常で何がそうでないのかという議論はナンセンスになる。

社会的弱者を救う行為は、これまでCSR(Corporate Social Responsibility)という企業の社会的責任活動として、その理想はともかく実際は企業から社会への一方向の慈善事業のように扱われていた。これからは違う。インクルーシブデザインという様々な人を取り込んだ商品設計が当たり前になり、デジタル技術を互助・共助のツールとして使いこなす社会の進歩と相まって、人に寄り添う持続可能な新たな事業モデルが生まれる。デジタルは人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、人はデジタルで平等となる。

ドコモのイノベーション創発を牽引してきた栄藤氏による2022年1月19日の日経産業新聞「Smart Times」を翻案したものです。

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