コラム:イノベーション創発への挑戦

表層的対価思考の罠

表層的対価思考の罠

米国の面白い出典不明の技術者ジョークがある。「あらゆる機械を修理するのに卓越した才能を持った技術者がいた。彼は30年以上にわたり会社に忠誠を尽くし退職した。数年後、数億円の機械の一つが故障し、修理できないと言う難題に直面した。絶望的な状況の中で、会社はその退職した彼を呼び出した。彼はその求めに応じ、一日かけて故障した巨大な機械を調べた。その日の終わりに、彼は機械の特定の部品にチョークで『x』を記し、『ここが問題だ』と述べた。その部品が取り換えられ、機械は完璧に作動した。後日、5万ドルの請求書が届き、思いの外、高額なので会社は請求書の明細書を要求した。『1つのチョークの印に1ドル、どこに置くかを知ることに4万9999ドル』。全額支払われ、彼は再び幸せな引退生活に戻った」というものだ。

似た話に、19世紀末に英国で活躍した画家ホイッスラーの実話がある。彼は1877年に「黒と金のノクターン」という制作に2日しかかからなかった絵に200ギニー(現在の500万円相当)の価値をつけた。それに対して高名な美術評論家が「その価値なし」と罵倒することにより裁判となっている。

法廷で美術評論家の弁護士が「あなたはその2日間の労働の対価として200ギニーを値付けしたのか」とたずねると、ホイッスラーは「いいえ、私は2日間の労働ではなく、私の人生の経験からきた価値を請求したのです」と答えた。

世界のどこでも知識・技能への価値評価が難しいが、日本は製造業など伝統的産業を中心に「表層的対価思考」というバイアスがあるように思える。

この逸話のように印象派の先駆的絵画に2日分の労賃にしか価値を認めないが故に、その背後にある本質の価値に気がつかない、あるいは気がついても相応の対価を払わない。知識や技術を適切な対価で評価しないがために関連する企業や個人の成長を阻害し、自らも高い知識・技能の受益者になれていない。

これから業務に新しいIT(情報技術)を導入したいユーザー企業Aがいるとする。そこでIT企業Bに声をかけた。大事なのはどの業務に新しいITを導入してどう運用するか。そこには経験に裏打ちされた膨大なノウハウが必要だ。

ユーザー企業Aは「発注の前提としてシステム化計画の提案お願いします」。以前ならば高額の開発費請求で回収できたが、今は開発費の中身は工数で評価される。提案でノウハウが移転するため、コンサルティング料を請求しない限り、IT企業Bは浮かばれない。ところが、ユーザー企業Aにはそのコスト感覚がない。結果、システム化計画は安直になる。

ユーザー企業Aは知らないところで優良なシステム化計画を進める機会を損失している。相手企業の知識や技術を「取る」のではなく「育む」という感覚を持つ必要がある。知識・技能を持つ相手と共存共栄していく企業文化が必要だ。

ドコモのイノベーション創発を牽引してきた栄藤氏による2023年4月26日の日経産業新聞「Smart Times」を翻案したものです。

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