インフラ老朽化と技術者不足の解決をめざす橋梁診断支援AI
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眞田 佳市郎(さなだ けいいちろう)
河内 洸貴(かわうち こうき)†
クロステック開発部
† 現在,事業開発部
あらまし
橋梁の維持管理では,技術者不足と,熟練技術者の暗黙知への依存による診断品質のばらつきが課題となっている.本稿では,点検データから技術的評価結果・健全性診断区分・特定事象の有無を導出し,所見文を自動生成する「橋梁診断支援AI」について解説する.長崎市が管理する橋梁を用いた実証実験では,点検票の構造化と検索拡張生成(RAG)を組み合わせ,診断稼働の削減と診断品質の均質化を確認し,事実と異なる出力を抑止した診断結果の自動生成が可能であることを検証した.
01. まえがき
日本の道路インフラは,高度経済成長期に集中的に整備された結果,深刻な老朽化問題にいま直面している.全国に約73万橋ある橋梁のうち,建設後50年以上が経過したものは2025年3月時点で約42%に達し,2040年3月には約75%まで急増すると見込まれている(図1)[1].これに対して,インフラの安全性を保つため,5年に1回の近接目視による定期点検が義務化されているが,少子高齢化を背景に,維持管理の担い手不足はさらに深刻化している.
橋梁のメンテナンスサイクルは,点検,診断,措置,記録の4つの工程で構成される(図2)[2].本メンテナンスサイクルのうち,点検結果から橋梁の状態を診断する「診断業務」では,部材ごとの損傷状況から,橋梁全体の「健全性診断区分(I~IV)」,活荷重・地震・豪雨出水に対する「技術的評価結果(A~C)」および疲労や塩害などの「特定事象の有無」を総合的に判断し,さらにその根拠を文章で示す「所見文」を作成する必要がある[3].しかし,本プロセスは熟練技術者の経験や暗黙知に依存する部分が大きく,点検者や自治体ごとで記述の差異による判断のばらつきが生じること,膨大な所見文作成の作業に負荷がかかること,さらには次世代への技術継承が困難であることといった課題を抱えていた.
そこで,これらの課題を解決するため,生成AI*1技術と橋梁メンテナンスの専門知見を融合した「橋梁診断支援AI」を開発した.本稿では,まず長崎市が管理する橋梁における実証実験[4]により,診断稼働の削減と診断品質の均質化に対する本システムの有効性を確認した結果について述べる.その上で,実証で得られた知見を踏まえ,新たな入力データと検証方式を用いて前処理および検索拡張生成(RAG:Retrieval-Augmented Generation)*2の方式を高度化した追加検証の結果について解説する.
- 生成AI:学習済みのデータを基に,文章,画像,プログラムコードなどの新しいコンテンツを自律的に生成できる人工知能技術のこと.
- 検索拡張生成(RAG):外部のデータソースから関連する情報を検索し,その情報に基づいて生成AIに回答を作成させる技術のこと.
02. 従来技術の課題
橋梁の点検・診断業務の効率化に向けて,これまでにも深層学習*3を用いた画像認識技術*4によるひび割れや剥離などの損傷検知が研究されてきた.しかし,これらは損傷の検知にとどまり,総合的な診断業務の自動化には至っていない.また,ルールベースでの支援手法も提案されてきたが,判断規則を網羅的に記述することが難しく,柔軟性に欠けるため,実用化は限定的であった.システム化の障壁となっていたのは以下の3点である.
2.1 非構造化データの記述の差異
自治体や点検事業者ごとに点検票のフォーマット(図3)が異なり,記載内容にも「単にひび割れと記載」「正常な部材は記載省略」などの揺らぎが存在する.従来のルールベースのプログラム処理では,これらの多様な組合せや文脈を正確に抽出・構造化し,評価基準と紐づけることが困難であった.
2.2 大規模言語モデル単独適用時の事実誤認
大規模言語モデル(LLM:Large Language Model)*5を単独で適用した場合,本来技術的評価結果をBとすべきところをAとするなど,モデル自身の事前学習データに基づく誤った推測(ハルシネーション*6)が混入する問題があった.橋梁診断は人命やインフラの安全性に直結するため,国土交通省が定める厳格な点検要領や評価基準から少しでも逸脱した結果が出力されることは,システムの信頼性において致命的な欠陥となる.
2.3 判断基準の暗黙知依存(評価基準の非明文化)
国の点検要領には損傷程度と技術的評価結果への対応が明示されておらず,判断基準が熟練技術者の暗黙知に依存しているため,ルールベース・LLMいずれの方式でもシステムが直接参照できる基準が存在しなかった.
- 深層学習:多層のニューラルネットワークを用いてデータから複雑なパターンを段階的に自動学習する手法で,ディープラーニングとも呼ばれる.大規模データから高度な予測を可能にする技術であり,現在のAI発展の核となっている.
- 画像認識技術:画像処理技術や機械学習技術を用いて,画像に含まれる物体,特徴,状態などを自動的に識別・分類する技術.
- 大規模言語モデル(LLM):大量のテキストデータを使って学習された言語モデルで,言語の理解や文章の生成に優れた能力をもつ.
- ハルシネーション:生成AIが,学習データに含まれない情報やもっともらしい事実とは異なる内容を出力してしまう現象のこと.
03. システム構成と処理手順
本システムはデータ保管基盤,データ変換/統合基盤,診断生成基盤で構成される.処理手順(図4)は以下のとおりである.
①データ確認・統合:入力データを,処理可能な統一形式へ整形・統合する.
②各情報の生成:統合した点検データに対し,一覧記載の記号とマスタとの照合を行い,別途作成した判定基準により一部の技術的評価結果を導出する.
③RAG処理:その他の点検データと②で導出した結果を統合し,生成AIとRAGにより技術的評価結果・健全性診断区分・特定事象の有無を生成し,続けてそれらを利用し,生成AIとRAGにより所見文を生成する.
④データの出力:技術的評価結果・健全性診断区分・特定事象の有無・所見文を含む13橋分のデータをリストとして出力する.
熟練技術者の判断基準は,損傷状態と評価結果を対応づけた判定基準やRAGの参照資料として明文化(形式知化)した.これにより,国と長崎県の点検要領を基礎としつつ,必要に応じて補完規則を適用する診断ロジックを構築した.
04. 実証実験
4.1 有効性の確認
本システムの有効性を検証するため,長崎市が管理する橋梁を対象とした実証実験を実施した.本実証では,長崎県の点検様式で記録された点検票から抽出したデータを入力データとし,技術的評価結果・健全性診断区分・特定事象の有無・所見文を含む診断案を作成し評価した.
検証は正解の不明確さを排除するため,ひび割れや洗掘といった多様な損傷パターンを含む13橋を抽出して実施した.主要な評価指標(重要業績評価指標(KPI:Key Performance Indicator))の結果を表1に示す.
診断業務の稼働削減効果は約57%であった.従来,人が診断する場合は1橋当り約2.35時間を要したのに対し,AIが診断案を作成し人が修正する方式では約1.00時間に短縮された.健全性診断区分の正解率は92%(13橋中12橋)であり,この正解値は大学の専門家の協力により確認した.所見案については,図5のように簡易な手直しで対応可能と評価された割合が62%に達した.また,実証の過程で抽出された補完規則(発生し得ない特定事象の判定抑止,判断根拠が不足する場合の明示,損傷状態を根拠とした所見記述など)は,3項目すべてを診断案に反映でき,反映率100%を達成した.なお,波及効果として,実証対象13橋について従来診断とAI診断案を比較した結果,健全性診断区分IIIの橋梁が6橋から3橋に減少した.このため,1橋当りの修繕コストを同等と仮定し,修繕コストを50%最適化できると試算した.なお,本数値は実際の工事費に基づく実績値ではない.ただし,これらは抽出した13橋における結果であり,対象を全橋に広げた場合は低下する可能性がある.
以上より,点検票から業務に活用できる水準の診断案を自動生成でき,診断稼働の削減と診断品質の均質化に有効であることを確認した.一方で,点検票に十分な情報がない場合に診断できない事象があること,および自治体ごとの診断ロジックの差異に整理が必要であるなどの課題も明らかとなった.
4.2 前処理とRAGの高度化に関する追加検証
実証実験で得られた知見を踏まえ,多様な書式への対応力と診断精度をさらに高めるため,下記の追加検証を実施した.実証実験との主な違いを表2に示す.
(1)LLMを用いた点検記録の前処理
多様な点検票の書式の違いや記述の揺らぎを吸収するため,入力部にLLMを活用した前処理を導入した.複雑な表構造をもつ点検票を入力データとし,部材分類,損傷種別,位置,程度などの論理的関係を維持したまま,それらを後段のRAG処理に適した構造化テキスト(Markdown*7形式)へ変換する.なお,変換後のテキストについては目視で確認する方法とした.
10橋を対象に変換精度を評価した結果,7橋では全項目が完全に一致し,残る3橋の不一致も損傷情報のごく軽微な変換誤りにとどまった.これにより,LLMが多様な書式の点検記録を統一形式へ変換する前処理として有効に機能することを確認した.
(2)RAGおよびIterative-RAG*8による診断精度の向上
技術的評価結果・健全性診断区分・特定事象の有無の導出について,①評価基準を参照しないLLM単独,②評価基準を参照するRAG,③RAGの出力を同一の参照資料で再検証・修正するIterative-RAGの3条件を比較した.RAGの参照資料として熟練技術者が作成した判断基準(例えば,「主桁にひび割れがある場合,活荷重評価C,地震評価A,豪雨評価A,健全性診断区分IIIとする」といった専門家ならではの判断基準)をLLMの回答精度が向上するように構造化テキスト化して登録した.また生成の偶然性を抑える設定とし,評価基準に忠実な出力を得るようにプロンプト*9で指示した.診断結果に加え,判断根拠となる評価基準の該当箇所も出力させることで,根拠の明示性と検証可能性を確保した.
その結果,①LLM単独では専門家の診断結果との不一致が多数発生したのに対し,②RAGの適用により不一致は大幅に減少した.さらに③Iterative-RAGを適用した結果,技術的評価結果および健全性診断区分は全橋で正解データと一致し,残る不一致は特定事象の有無などごく一部となった.自己検証・自己修正の仕組みにより,RAG単独では残存していた「モデルの事前知識に基づく評価基準からの逸脱」が抑制され,事実誤認の抑止に有効であることを確認した.
- Markdown:記号を用いて文書の見出しや表などの構造を簡潔に表現する軽量な記法.
- Iterative-RAG:RAGの出力を同じ知識源に再度照合して検証・修正し,回答精度を高める反復型の手法.
- プロンプト:LLMに入力される指示文や質問文を指す.
05. あとがき
本稿では,生成AIと独自の診断ロジックを組み合わせた橋梁診断支援AIにおける,実証実験による有効性の確認結果と,前処理・RAGを高度化した追加検証の結果について解説した.本システムは,自治体ごとに異なるフォーマットへ対応しつつ,国土交通省の基準を満たす診断を自動生成することで,インフラ維持管理における深刻な人手不足の解消と,診断品質の均質化に貢献する.今後は,実証で明らかとなった管理者ごとでの診断ロジックの差異を吸収する機能を拡張するとともに,インフラの予防保全マネジメント全体を支える技術への拡張をめざし,持続可能な社会基盤の運営に貢献していく.
- [1] 国土交通省 道路局:“道路メンテナンス年報,”Aug. 2025.https://www.mlit.go.jp/road/sisaku/yobohozen/pdf/r06/r06_08maint.pdf
- [2] 国土交通省 インフラ老朽化対策の推進に関する関係省庁連絡会議:“インフラ長寿命化基本計画,”Nov. 2013.https://www.mlit.go.jp/common/001040309.pdf
- [3] 国土交通省 道路局:“道路橋定期点検要領,”Feb. 2019.https://www.mlit.go.jp/road/sisaku/yobohozen/tenken/yobo4_1.pdf
- [4] 株式会社NTTドコモソリューションズ:“産官学連携で生成AIを活用した持続可能な橋梁管理の実現へ~診断業務効率化や技術継承を実現する橋梁診断支援AIの実証実施~,”May 2025.https://www.nttcom.co.jp/news/pr25052201.html